もろもろ

悲喜こもごもの年末年始(暮れは涙、涙)

もろもろ 鍼灸

年末というか12月は忘年会に始まり、家の内装工事の準備と後始末に追われた。
忘年会では、三度も飲み過ぎ?で痛い目にあう。こっぴどい二日酔いになったり(午前中剣道をして昼から夕方まで…飲み過ぎ)、酔ってどこにいるかも分からずにほっつき歩いていてころんで顔面血だらけになったり(コンピュータ研究会ミニプレゼンをして夕方から深夜まで…飲み過ぎ)。そんなことを酒の肴に飲んだ帰りにはスマホを落としたり(南無の会坐禅会の仲間と二次会までやった…ほどほどの筈だったが)。年齢のせいと長時間飲み過ぎたせいだ。中でも、スマホはショックだった。データをリモート削除したが、悪用されるのではないかと気が気では無かった。会社勤めの頃なら、始末書だけでは済まなかっただろう。
最後の忘年会では、ビール1本でしらふで過ごした。味気ないが、さすがに飲む気になれなかった。酒の弱い人に聞いたら、最初の乾杯で良い気分になって、そのまま持続するようだ。安上がりで良い(でも、割り勘負け?)。その境地にはなかなか慣れそうにない。
スマホは1年半前の強力機種だったが、この間にまた進歩している。新しいスマホを手に入れて、少し喜んでいる自分がいたりするが、まだ使いこなせていない。

内装工事は古くなった畳みをフローリングに変えて、上に置き畳というのを敷いた。狭い家の中で家具の移動が大変。折悪しく、団地の大規模修繕で、ベランダが使えない。年末ギリギリまで引っ張ったらベランダが使えるともくろんでいたが、検査が済むまではだめと言うことで、泣く泣く、使わないものを処分。つれあいの嫁入り道具として残っていたタンスの片割れを廃棄、彼女が自宅療養中、ずーっと寝ていたソファベッドを廃棄、未だに残っていた衣類や自分の着ない衣類を処分。それをスマホの写真に収めてあったが、スマホと一緒に行き方知れずに。さほど悔いが残っていないのは、廃棄の踏ん切りを付けるために写真に撮っただけのようだ。思い切りの良い人はそんな手間をかけずに捨てられるのだろう、少しは断捨離へのヒントになった。一人で重い家具をあっち運んだり、こっち運んだりしてへとへとになった。工事は二日で終わり、ネット注文の畳みも納期通りにその夜には届いた。熊本産の青々とした畳みは気持ちよい。畳みと何とかは新しい方が良いと言うが、その通りだった。
20161227-20170101年末年始畳みと孫たち
大晦日は娘の所へ行き、孫と遊ぶ。いつの間にか、一輪車に乗ったり、補助無しの自転車に乗れるようになっていた。一日にはみんなで実家に来て、高幡の不動さんにお参り。明石焼き(たこ焼き)のつけ汁が美味しかった。その夜は、新宿の鍼灸院に移動して、窓辺の花鉢に水をやる。盆栽に水をやる隠居のような小市民的生活を送るとは思わなかったが、人生変わるものだ。二日の朝は、明治神宮へ初詣(朝早くまだ人は少なめ)と代々木公園を初ラン(人気無し、鴨ばかり)。まんかい鍼灸院の隣りの代ゼミ本校は決戦ムード。
20170101孫たちと高幡不動尊初詣
20170102明治神宮初詣と代々木公園
昼に帰ろうと思っていたら、ぎっくり腰の急患が電話で治療を頼んでくる。一日に発症したらしく、普通は家で安静にするものだが、どうしても外出をしないといけないので、御願いするという。電話をあちこちかけまくったがさすがに三が日やっているところがないという。どうぞと迎えたが、ひどくてズボンを脱ぐのもベッドに横になってやっと。急性筋筋膜炎というのは、発症部位の炎症と周囲の冷えたところとかばって硬くなったところの三カ所を治療するのがコツ。右腰が発症部位だが、左の大腿がかばってかちかちに硬くなっていた。帰りは座ってズボンをはけるまでになって喜んで帰って行った。年明け早々人助けできて良い気分。4日ほどして再来院して、何とか動けて、仕事にも復帰できたと言う。もう炎症は治まっていた。何度もぎっくり腰になるようだが、硬くなった瘢痕治癒の部位をちゃんと治療するのが再発防止に重要。この後も来てくれると良いが。

三日は下の娘夫婦も来て、久々に一家勢揃いで楽しいひとときを過ごした。四日は七生丘陵を軽く走り、五日からは通常の治療と、剣道の日々に、…。これから新年会がいくつも続く、どう控え目に飲めるか、今年の試金石、チャレンジ。
今年は、医療機関と鍼灸師の連携をすすめる医療鍼灸協会の立上げに協力することになり、忙しくなりそう。

法定速度で走ろうと天国から指令

もろもろ

10月下旬に、つれあいの誕生日だったので、墓参りに行ってきた。紅葉の始まった静かな中でしばし佇む。
その帰り道、良いことをしたはずなのに、トンネルでスピードオーバーで、白バイにつかまった。トンネルがいくつも続いて、前に車は一つも居なかったので、ついスピードを出してしまった。どこに隠れていたのか、サイレンを鳴らされるまで気づかなかった。中国旅行直後なのに、小遣いピンチ。
よく考えれば、安全運転をするように天国からの指令か。その後、法定速度で走ってみたら、トロトロ走る軽自動車にも腹が立たない。それまでは、イライラしていたが。これからは法律遵守で走ろう、…。
つれあいの誕生日に墓参り

中国河西回廊石窟寺院を訪ねて(4/4)

もろもろ 坐禅

中国河西回廊石窟寺院を訪ねて B,C 麦積山石窟

最終行程、中国四代石窟の一つ、麦積山石窟。入口からとりつきまでは、専用の電動車に乗っていく。いきなり目に入るのは、壁に張り付いた階段。遠目から見ると、今にも落ちそうだ。これを作った人たちも勇ましいが、この階段を上るのは勇気がいる(地震で古い木造の階段が壊れて、鉄筋になって少し安心なようだが)。
オーバハングした岩に穿たれた仏像、同行の庵主(尼)さんは下駄でここを昇った。
壁に張り付いた巨大な三尊。
鍵を開けて拝観。
彼方の山が霧に霞む。
美しい仏像、ひょうきんな仁王、苦虫の迦葉、黒い頬の仏像、観音とたくさんの仏像を拝んだ。特別に頼んで拝観した、「初めて我が子と対面した釈迦」の像は撮影厳禁だった。仏陀となりもはや私情の世界に生きることはできないが、親子の情を額に触れんとして触れられない右手に表現されていて感動した。
仁王の荒ぶる心と菩薩の祈り、それが一緒になって生きる勇気を与える。色んな事があったが、良い旅であった。
中国河西回廊石窟寺院を訪ねて B 麦積山 岩壁

中国河西回廊石窟寺院を訪ねて C 麦積山 仏像

中国河西回廊石窟寺院を訪ねて(3/4)

もろもろ 坐禅

中国河西回廊石窟寺院を訪ねて 9、A 水廉洞石窟

日を追うに従って、高度を増す(この木造の急階段は、さすがに昇らなかった)。高見の登楼に昇ると、紅葉が実に美しい。
岩に穴を穿ち棒を入れて足場を作って、掘ったり、描いたという。今も貧弱な足場で、良くやったと思う。
登楼の更に奥には、道教の寺(観)もある。道教は現在も生きているようで、祭礼の日らしく、大勢の人が奥まで参っていた
水廉洞

水廉洞2

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