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初めての歌舞伎と歌劇(オペラ)を楽しむ

もろもろ

今年の正月三が日は体調を崩してきつかったが、5日は 浅草公会堂で新春浅草歌舞伎、10日は武蔵野でウクライナ国立歌劇場 歌劇『アイーダ』と、どちらも三時間たっぷり観賞、初めての体験、すばらしかった。

20260105新春浅草歌舞伎1

20260110歌劇アイーダ1

 映画「国宝」の大ヒットで歌舞伎人気が高まり、孫に見たいと言われて、一緒に行ってきた。学士会が用意してくれた前の方の席で、生で見ると、テレビとは全然違う迫力があった。
 一幕目は、近松門左衛門 作 傾城反魂香 土佐将監閑居の場 。補聴器をつけてもよく聞こえず、勝手な解釈でストーリーを創造していたと、後でプログラムを見てわかったが、逆に非常な緊迫感ある物語となった。正月に、勘当された侍のどら息子が女房と一緒に父親に復縁を願うものと、剣道をやっている者として武士物語に解釈をした。謹厳実直な父に対して、ろくに話しを出来ない、ヘタレの息子に女房が代わって、あれこれと釈明をする。庭に座する夫婦に対して、座敷から父親が、お主が申してみよと言われて、話し出すが、すぐにへこむ。座敷の傍ら奥には、お気に入りの弟がじっと座っている。主人夫婦と5人の場面、話す者以外はじっと座っている。テレビでは感じないだろうが、生身等身大の人間(役者)が何もしないで、たじろぎもしないで、ただ座っている、その演技が、尋常ならざる緊迫感を与える。歌舞伎は生で見るものだと思った。
 しょーもないと、父親達が他の部屋へ引っ込み、二人残された夫婦は、生きていてもしょうが無いと、切腹をしよう、私もついていきますとなる。今生の別れに辞世の句を鉢に書こうとする。それが、自画像として表に映し出されてビックリする。その騒ぎを見て出てきた父親が許してやった。そこから、りりしい裃に着替えて舞を舞う。主役の中村橋之助が素晴らしかった。歌舞伎は勇ましい役が多いが、ヘタレぶりは狂言や落語以上で、へこむ顔の作り、動作は、今まで見たことがない、初めて見るものだった。踊りも素晴らしかったが、これは多くの役者ができる。
 という解釈は、実はマチガイで、絵描きが師匠に名字を頂きたいとお願いに参上したものらしい。吃音で女房が代わりに多くを語ったという。筆を持っているのが意味不明だったが、それでわかった。しかし、傾城(けいせい)という題から、国を傾ける美女らしい奥さんなど、私としては勝手な解釈で楽しんだ。

 第二幕は、男女道成寺の踊り。これも良かった。通常の娘道成寺は、白拍子が相手の男を思いつつ一人で踊るものらしいが、最初に二人の白拍子が踊り、実は一人は男(狂言師)であったとわかる。それから、男に戻った役者(尾上 左近)の踊りや女のままの役者(中村莟玉)の踊り、二人の絡み合いなどたっぷりと踊りを見せてくれる。特に、白拍子のままの中村莟玉が女らしい嫋やかな踊りを見せてくれる。途中で、これ、男なんだよな、と思いつつも、引き込まれていった。

20260105新春浅草歌舞伎2

 年始めのコンサートは、例年、所沢ミューズアークホールで、秋山和慶指揮 小山美実稚恵ピアノ 東京交響楽団でピアノ協奏曲や交響曲だった。しかし、昨年は、突然、秋山の怪我で代役が指揮した。それでも、2026年の予告チラシもあって、来年は秋山の指揮があろう期待していたら、すぐ後の1月末に亡くなられた。
 それで、今年は趣向を変えて、10日に武蔵野文化会館で、ウクライナ国立歌劇場による歌劇『アイーダ』に足を運んだ。4幕たっぷり三時間、歌有り、バレーダンス有り、ファラオ時代のエジプトとエチオピア、2つの国に引裂かれた男女の悲恋を描いている。こちらは、舞台の端に短いながら、日本語の解説や翻訳が常時出ているので、耳だけでなく、目でも筋を確認することが出来た。
 スクリーンへの映写による舞台効果もあり、目の前で一大スペクタクルが展開される。歌舞伎同様に、歌劇(オペラ)も生で見ると迫力があり、感動も大きい。

20260110歌劇アイーダ2

 

 

剣道の基本

武道

足の構え

持ち方 小指半掛

竹刀の構え

足さばき 振りかぶり

打ち切る

左座右起 礼 蹲踞

(参考)楽で長続きする姿勢=正しい姿勢 気持ちよい呼吸=正しい呼吸法

(参考)動画で実演と説明 「木刀による剣道基本技」 「剣道形」 全剣連

東京の女子高生が体験した4泊5日 奄美大島の旅

奄美

(これは孫の夏休み体験です。長編です)

東京と奄美とデュアルライフを始めたジィジに誘われて、奄美大島に行ってきました。
小さい時に行ったことがあるけど、ちょっぴり大人になってから初めて、楽しいことが一杯の旅でした。

奄美大島の北から南まで順番に行ったところを紹介しまーす。

パラグライダー遊覧飛行!
 北にある、奄美市笠利の浜からグライダーで、空を飛ぶ。エンジン付き、ドライバー付きなんだけど、自分の身体がそのまま空中に浮いて、山を越え、海の上へ。

 続けて、近くにある最北端の夢見る亀さん。奄美十景のあやまる岬は、海と繋がったプールがあって、魚も入ってくるんだって。

奄美パーク、原ハブ屋、ハートロック、ソフトクリーム
 空港近くの奄美パークにちょっとだけ寄った。田中一村の展示は見なかったけど、昔からのオジイと一緒に写真を撮れた。

 そして、少し南へ行くと、原ハブ屋の”ハブと愛まショー”。怖いけど、ショーを絶対に見るべき。展示箱の中のハブとは迫力が違う。

 龍郷町に入ると、噂のハートロック。潮の引きが足りなかったけど、ちゃんとハートだ。ハートの先はサーファー憧れの手広海岸の波、世界大会も行われたんだって。

 近くには、山羊のミルクを使ったソフトクリーム屋さんもある。山羊もいる。おいしかったー。

 深い入り江の龍郷湾を進むと小浜公園があって、西郷隆盛の家族の像があった。明治維新で活躍したけど、途中で奄美大島に流されて、暮らしたことがあるという。龍郷町にとって、縁の深い偉人(奥さんが島の人、でも奄美に1人残った)で、尊敬されている。その反対側には、島のブルース碑があって、三沢あけみの歌が聞ける。作曲した人が龍郷に住んでいたんだと。

ジィジの家
 龍郷町の南端、秋名幾里、ジィジの鍼灸院でーす。
裏庭には大きなバナナの木が、でも実は小さい。島バナナといって甘いんだって、熟するのにまだ一ケ月以上というので食べられなかった、残念。
 外は田んぼが広がっていて、刈った稲が干してあった。奄美で一番、田んぼが広い所だって、ジィジも子どもの頃は稲刈りの手伝いをよくしたとか。

 親戚のオジイが夜光貝の細工が得意でたくさん有るから見にお出でというので行ったら、すごい、キレイ。好きなのを一つあげると言われて、貰っちゃった。いいのかなー(後はジィジよろしくね)。デザイナーの娘さんがいて、近い内にネット販売もするとか。

 釣りにも行ったよ。ジィジが子どもの頃に良く行っていたという場所へ行ったけど、大潮の時期じゃ無くて珊瑚礁は見えなかった。それに潮が満ちてきて波があって怖かった。びびって、港の突堤から釣り糸を垂らしたけど、魚が見えない。次の日、少し北へ戻って、釣りに再挑戦、、、釣れなかったけど、巻き餌を巻くとたくさんの魚が集まってきて、見るだけでも楽しかった。また、海の碧と空の青と水平線の眺めも抜群。

 ジィジが私が来る前の大潮の時に水中カメラで撮った秋名の海の写真を見せて貰った。子どもの時にしょっちゅう行っていて、石の一つ一つまで知っているって。次は、大潮の時に釣りに来たい。

食事会
 着いた日は、料理が上手なオバアと一緒に奄美名物の鷄飯料理を作った。おいしかった。

 バァバ(もう亡くなったけど)の兄の料理が得意なオジイから、お呼ばれした。イラブチ刺身、エビの天ぷら、などなど。市場から魚や肉を仕入れて、調理して売っている、プロだから、本当に美味しかった。オジイの他の兄弟や孫たちも来て賑やか。小さな孫たちが隣の部屋で走り回っていた。
 料理だけでなく、パッションジュースもおいしくて何度もお替わりした。そしたら、次の日に、お土産にとパッションジュースと生のパッションやマンゴーを持ってきてくれた。生のパッションは少し頂いて、これもいい。

 ジィジの家でも、ジィジの弟妹家族が大勢来て、焼き肉パーティ(おいしい豚肉と猪の肉も)をした。こっちは大人っぽい集まりで、結婚間近なペアや、今日が誕生日のオジイもいた。バースディケーキも用意されて、皆でハッピーバースデーを歌った。終わりに、夜更けだけど、花火も楽しんだ。

奄美博物館
 一番の中心地、奄美市名瀬は展望台から見ただけでスルーして、名瀬港の端にある奄美博物館も見てきた。元博物館長のオジイが丁寧に説明をしてくれて、むっちゃ興味が湧いた。
 海に囲まれて、いろんな舟があるという。舟漕ぎ競争が盛んなのも歴史を引き継いでいるとか。
 ハブの特別展示もしていた。見ただけで怖い。ハブの話が良く出てくる。
 ノロ神様、ユタ神様という昔からの伝統も珍しい。
 オーディオボックスで奄美の方言も実際に聞けた。全然意味がわからないけど面白い。ジィジは子どもの頃の方言が今も残っている。同じ奄美でも地域(集落)で、いろいろと違う。ボタンを押すと、いくつも話してくれて、興味一杯。

黒ウサギのミュージアム くるぐる
 今年の4月20日に大和村にオープンしたばかりで、評判のアマミノクロウサギミュージアムQuru Guru(くるぐる)にも行ってきました。
 クロウサギは、国の特別天然記念物だから普通には飼えないけど、ケガの治療をして野生に帰せない場合に飼育をするという。研究と展示もしていて、見ることができた。”よるにわ”という昼夜逆転した部屋(クロウサギは夜行性でーす)で、餌を食べたり、毛づくろいをしたりしていた。

 また、”くるぐるの森”という真っ暗な部屋で、特殊なメガネをかけて、クロウサギのサイズになって不思議でちょっぴりキケンな夜の森というのを体験できた。猪やハブも出てくる。
 向かいには、奄美野生生物保護センターがあって、奄美のいろんな自然やマングース撲滅奮闘記(ガンバリー)の展示も見られるんだと。

 大和村のもう一つの名所、マテリアの滝にも行ってきた。木々がこんもりとした山の奥で、滝の上のほうに木々の隙間から空が見える。神秘的、という言葉がピッタリ、、でも、滝つぼで泳ぎたーい。

水中観光船
 南にある瀬戸内町と加計呂麻島に挟まれた大島海峡を半潜水式水中観光船「せと」で見てきた。
海峡には船がのどかに浮かんでいる。テーブル珊瑚や花珊瑚の合間をいろいろな熱帯魚たちが泳いでいるのをすぐ側で見える。

 海の駅せとうちの1階にある漁協直販店「海力」で食べた海鮮丼がおいしい。鮮魚・加工販売もしていて、目の前で大きな魚をさばいていた。外海(太平洋)に繋がったこの海峡で、近畿大学が養殖に成功したマグロも有名とか。

 帰りがけに近くにある”ホノホシ海岸”も見た。荒い波で、丸くなった石だけがゴロゴロと集まった海辺はチョー珍しい。駐車場から海辺までアダンの林、熟れた実が珍しかった。途中に、”ハートの見える海”という看板もあった(奄美はハートが一杯)。

また来るねー
 楽しい想い出一杯の旅だった。ジィジありがとう。
 まだ見たいところも一杯あるし、皆とも会いたいので、大学生になったら、バイトしてまた遊びに来るよー(ジィジもちょっとだけ応援してね)。

(ジィジから)本当に楽しい時間だった。あっという間だったね。食事の後片付けをするなど、大きくなったなーと感じた。応援するから、またお出でね。

連休は京都大会、大阪万博に参じる

もろもろ 武道

5月の連休は、毎年恒例の京都大会と55年ぶりの大阪万博に行ってきました。

 恒例とは言え、コロナと左半月板の損傷で、昨年は4年ぶりに参加した。練習も不足で恐る恐る、試合だけの参加で、全国から集まる八段の先生への朝稽古も、昼間の全国のいろんな剣道家達との稽古も無しだった。今年は、もう少しチャンとやりたいと、東京では稽古のレベルを少しづつ上げて、奄美に居る時は農道を走ってきたのだが、、。4月中旬に東京へ戻って、さあ稽古とを思った矢先に、ぎっくり腰になって、顔を洗うのも辛い。参加できないかと、泣きたい気分。鍼灸の研修所の後輩に鍼をしてもらって、何とか動ける所までは来たので、そのまま参加することにした。しかし、子供相手に2回稽古をしただけで、今年も、参加することだけに意義があるトホホな結果。最初のコテメンは良い感じだったが、ビデオを見ると、踏み込みが弱くて軽い、とても一本にはならない。
 稽古も出来ずに、仲間や先生方の試合を見取り稽古に終始。それでも、着いた5月2日の昼には、平安神宮そばの定宿から、近くの瓢亭(400年の歴史ある)で昼食を取り、京都が初めての仲間もいたので、そのまま、清水寺まで、観光客であふれかえっている中をぶらぶらと散歩。私以外にも足の悪い人が居たので、置いてけぼりを食わずにゆっくりと歩いて助かった。
 鍼灸の患者さんにはいつも、筋肉は強さと同時に柔らかさが必要と話していたのに、腰の硬いのを承知しながら、ぎっくり腰には20年前になってから無かったので、筋肉疲労は良いことと高をくくっていた。剣道だけで無く、身体の柔軟性と筋トレにも目を向けよう。

京都大会

京都大会

 5月3日は、いつも通りに大阪へ行き、従姉妹に鍼をして一杯やる。その前に、3月に連絡した時に、「せっかく大阪へ来るんなら、万博行ったらええやん」という言葉に午前中は万博へ行ってきた。京都から早立ちで、京阪線、谷町線 、中央線 と乗り継いで、 夢洲駅に。予約をする時に入場時間も指定する不思議な方式で、10:00予約で、40分前についた。早すぎたと思ったが、並んで動いている内に時間が過ぎた。11:00予約の人は、地べたで待ち行列だった。人が多くて、空港並みのチェックもあるので入場に時間がかかる。
 今回は予約必要や混んだパビリオンに行く気は無かったので、先ずは大屋根へ。2kmを2時間かけて、そろそろと歩いて上からパビリオンの全体や大阪の町並み、港や瀬戸内海を眺めて満足。

 小さな国も、自分たちの誇りとする文化伝統品を展示している。80億人からなる地球上の多様な人種民族の人たち、スタッフ、観光客、それを身近に見て感じるのも万博ならではだ。今回は、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマにして持続可能な社会を共創するというので、木造など自然を使った建屋が多い。45億年の地球の歴史から見れば、20万年足らずの人類が永続というのはおこがましいが、55年前の万博は高度成長期、青春期の日本だった、わずかの間にも大きな変化があった。変化を受け入れつつ、良い方向へ少しでも舵を切ろうという気持ちになるのも良いことだ。

大阪万博

 

大阪万博

 

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