奄美

東京の女子高生が体験した4泊5日 奄美大島の旅

奄美

(これは孫の夏休み体験です。長編です)

東京と奄美とデュアルライフを始めたジィジに誘われて、奄美大島に行ってきました。
小さい時に行ったことがあるけど、ちょっぴり大人になってから初めて、楽しいことが一杯の旅でした。

奄美大島の北から南まで順番に行ったところを紹介しまーす。

パラグライダー遊覧飛行!
 北にある、奄美市笠利の浜からグライダーで、空を飛ぶ。エンジン付き、ドライバー付きなんだけど、自分の身体がそのまま空中に浮いて、山を越え、海の上へ。

 続けて、近くにある最北端の夢見る亀さん。奄美十景のあやまる岬は、海と繋がったプールがあって、魚も入ってくるんだって。

奄美パーク、原ハブ屋、ハートロック、ソフトクリーム
 空港近くの奄美パークにちょっとだけ寄った。田中一村の展示は見なかったけど、昔からのオジイと一緒に写真を撮れた。

 そして、少し南へ行くと、原ハブ屋の”ハブと愛まショー”。怖いけど、ショーを絶対に見るべき。展示箱の中のハブとは迫力が違う。

 龍郷町に入ると、噂のハートロック。潮の引きが足りなかったけど、ちゃんとハートだ。ハートの先はサーファー憧れの手広海岸の波、世界大会も行われたんだって。

 近くには、山羊のミルクを使ったソフトクリーム屋さんもある。山羊もいる。おいしかったー。

 深い入り江の龍郷湾を進むと小浜公園があって、西郷隆盛の家族の像があった。明治維新で活躍したけど、途中で奄美大島に流されて、暮らしたことがあるという。龍郷町にとって、縁の深い偉人(奥さんが島の人、でも奄美に1人残った)で、尊敬されている。その反対側には、島のブルース碑があって、三沢あけみの歌が聞ける。作曲した人が龍郷に住んでいたんだと。

ジィジの家
 龍郷町の南端、秋名幾里、ジィジの鍼灸院でーす。
裏庭には大きなバナナの木が、でも実は小さい。島バナナといって甘いんだって、熟するのにまだ一ケ月以上というので食べられなかった、残念。
 外は田んぼが広がっていて、刈った稲が干してあった。奄美で一番、田んぼが広い所だって、ジィジも子どもの頃は稲刈りの手伝いをよくしたとか。

 親戚のオジイが夜光貝の細工が得意でたくさん有るから見にお出でというので行ったら、すごい、キレイ。好きなのを一つあげると言われて、貰っちゃった。いいのかなー(後はジィジよろしくね)。デザイナーの娘さんがいて、近い内にネット販売もするとか。

 釣りにも行ったよ。ジィジが子どもの頃に良く行っていたという場所へ行ったけど、大潮の時期じゃ無くて珊瑚礁は見えなかった。それに潮が満ちてきて波があって怖かった。びびって、港の突堤から釣り糸を垂らしたけど、魚が見えない。次の日、少し北へ戻って、釣りに再挑戦、、、釣れなかったけど、巻き餌を巻くとたくさんの魚が集まってきて、見るだけでも楽しかった。また、海の碧と空の青と水平線の眺めも抜群。

 ジィジが私が来る前の大潮の時に水中カメラで撮った秋名の海の写真を見せて貰った。子どもの時にしょっちゅう行っていて、石の一つ一つまで知っているって。次は、大潮の時に釣りに来たい。

食事会
 着いた日は、料理が上手なオバアと一緒に奄美名物の鷄飯料理を作った。おいしかった。

 バァバ(もう亡くなったけど)の兄の料理が得意なオジイから、お呼ばれした。イラブチ刺身、エビの天ぷら、などなど。市場から魚や肉を仕入れて、調理して売っている、プロだから、本当に美味しかった。オジイの他の兄弟や孫たちも来て賑やか。小さな孫たちが隣の部屋で走り回っていた。
 料理だけでなく、パッションジュースもおいしくて何度もお替わりした。そしたら、次の日に、お土産にとパッションジュースと生のパッションやマンゴーを持ってきてくれた。生のパッションは少し頂いて、これもいい。

 ジィジの家でも、ジィジの弟妹家族が大勢来て、焼き肉パーティ(おいしい豚肉と猪の肉も)をした。こっちは大人っぽい集まりで、結婚間近なペアや、今日が誕生日のオジイもいた。バースディケーキも用意されて、皆でハッピーバースデーを歌った。終わりに、夜更けだけど、花火も楽しんだ。

奄美博物館
 一番の中心地、奄美市名瀬は展望台から見ただけでスルーして、名瀬港の端にある奄美博物館も見てきた。元博物館長のオジイが丁寧に説明をしてくれて、むっちゃ興味が湧いた。
 海に囲まれて、いろんな舟があるという。舟漕ぎ競争が盛んなのも歴史を引き継いでいるとか。
 ハブの特別展示もしていた。見ただけで怖い。ハブの話が良く出てくる。
 ノロ神様、ユタ神様という昔からの伝統も珍しい。
 オーディオボックスで奄美の方言も実際に聞けた。全然意味がわからないけど面白い。ジィジは子どもの頃の方言が今も残っている。同じ奄美でも地域(集落)で、いろいろと違う。ボタンを押すと、いくつも話してくれて、興味一杯。

黒ウサギのミュージアム くるぐる
 今年の4月20日に大和村にオープンしたばかりで、評判のアマミノクロウサギミュージアムQuru Guru(くるぐる)にも行ってきました。
 クロウサギは、国の特別天然記念物だから普通には飼えないけど、ケガの治療をして野生に帰せない場合に飼育をするという。研究と展示もしていて、見ることができた。”よるにわ”という昼夜逆転した部屋(クロウサギは夜行性でーす)で、餌を食べたり、毛づくろいをしたりしていた。

 また、”くるぐるの森”という真っ暗な部屋で、特殊なメガネをかけて、クロウサギのサイズになって不思議でちょっぴりキケンな夜の森というのを体験できた。猪やハブも出てくる。
 向かいには、奄美野生生物保護センターがあって、奄美のいろんな自然やマングース撲滅奮闘記(ガンバリー)の展示も見られるんだと。

 大和村のもう一つの名所、マテリアの滝にも行ってきた。木々がこんもりとした山の奥で、滝の上のほうに木々の隙間から空が見える。神秘的、という言葉がピッタリ、、でも、滝つぼで泳ぎたーい。

水中観光船
 南にある瀬戸内町と加計呂麻島に挟まれた大島海峡を半潜水式水中観光船「せと」で見てきた。
海峡には船がのどかに浮かんでいる。テーブル珊瑚や花珊瑚の合間をいろいろな熱帯魚たちが泳いでいるのをすぐ側で見える。

 海の駅せとうちの1階にある漁協直販店「海力」で食べた海鮮丼がおいしい。鮮魚・加工販売もしていて、目の前で大きな魚をさばいていた。外海(太平洋)に繋がったこの海峡で、近畿大学が養殖に成功したマグロも有名とか。

 帰りがけに近くにある”ホノホシ海岸”も見た。荒い波で、丸くなった石だけがゴロゴロと集まった海辺はチョー珍しい。駐車場から海辺までアダンの林、熟れた実が珍しかった。途中に、”ハートの見える海”という看板もあった(奄美はハートが一杯)。

また来るねー
 楽しい想い出一杯の旅だった。ジィジありがとう。
 まだ見たいところも一杯あるし、皆とも会いたいので、大学生になったら、バイトしてまた遊びに来るよー(ジィジもちょっとだけ応援してね)。

(ジィジから)本当に楽しい時間だった。あっという間だったね。食事の後片付けをするなど、大きくなったなーと感じた。応援するから、またお出でね。

第17回碩山杯(奄美市太陽が丘総合公園体育館)

奄美 武道

 先日(12月1日)、奄美市笠利町太陽が丘総合公園で、碩山杯が有り、初めて、参加(見学)しました。
 碩山杯は、奄美の青少年に正しい剣道を通じて、人間性豊かな成長を願い、笠利出身の碩山先生が始めた、奄美で一番大きな剣道大会です。碩山先生が東京警視庁に奉職していた関係で、警察の剣道関係者が指導に来ています。また、私が本社地区(港区)へ転勤する前(かなり前、…)に、東京港区でも稽古・指導をしていた関係から、港区で稽古をしている多くの剣道人も手弁当で参加、顔見知りも来ていました。
 前日には練習会もあり、警視庁の権瓶八段が基本の指導を行った。私も、子供達の稽古の元立ちになり、良い汗を流した。3年以上の膝の故障上がりの身として、大事を取って大人との稽古は止めたが、翌日は痛みがあり、まだまだ激しい稽古は無理と思った。
 以前よりも参加者が減ったそうだが、複数の学校から混成でチームを作ったり、奄美全体で一体となった大会だ。2会場で小中学生の団体戦、個人戦から一般まで元気いっぱい、熱の入った試合が展開された。

碩山杯 集合写真、小学生試合

碩山杯 中学生、一般試合

平田輝 還暦&ニューアルバム発売記念LIVE

奄美

 今は奄美に来ています。
 小中の同級生に鍼をしている時に、こんなコンサートがある、マリスト高校の後輩だよと誘われて、それじゃ行ってみるかと数十年ぶりに、11月24日に、奄美市のアマホームPLAZAであったポピュラー音楽の演奏会に行った。
 還暦というので赤いスーツで登場して、いきなり、声を張り上げてシャウト。こんなんで1時間以上も持つのかと思ったが、なんと、2時間半も、最後まで、一人で歌いきった。それも、澄んだ濁りの無い声で、会場中に声が届いた。
 ギターにピアノと多彩な腕を披露した。バンドは親しい仲間のようで、一体感があった。ダンサーもシニアの手練れ。

 終わったら、マリストの親しい同期と久し振りに飲もうと事前に話をして、同じ平田という名字なので、関係あるの?と聞いたら、実は弟と言うのでびっくり。先の小中の同級生から、打上げもあるよと言うので、そこに混ぜて貰うことにした。それが、馬酔木を貸しきりで満員、奈良京都大阪から追っかけ、東京の大勢、奄美の応援団がさらに大勢で、楽しく過ごした。妹の家に泊めて貰うことにしてあって義弟が待ちくたびれた所へ遅くに帰った。

 

短いが、動画もあります。
熱演1 暗闇から浮かび上がるドラム

熱演2 ギター競演

熱演3 ピアノで盛り上がる

熱演4 ダンサーと奄美あん

熱演5 フィナーレ

「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」東京都美術館

奄美

奄美つながりで紹介します。
展示は12月1日まで、もうすぐ終わります。
 興味ある方は是非、お出でください。但し混んでいます。
この二ヶ月で、20万人を超える入場者。私が行った10月30日も平日にもかかわらず、入場券を買うのに長蛇の列でした。

20241030一村展看板

テレビやネットで紹介されているのでご存じの方多いでしょうが、…。
 1908年7月に栃木で生まれて、6歳から東京で彫刻家の父の元で、日本画を学び、神童と呼ばれる。東京美術学校(現・東京藝術大学)に合格しながらも2ヵ月で退学。
 父や身内の死により、1938年5月に千葉へ移り、農業をしながら、独自に画業の生活を送る。中央画壇へ出品を続けるも、認められたのは、川端龍子の展覧会に入選した1作品のみ。
 失意の中で、九州旅行、宮崎の南国風景に目覚め、より南の奄美へ1958年12月に50歳で渡る。以後、紬の染色工として3年働き、2年間絵を描く生活を続けて、不遇のまま1977年9月に69歳で亡くなった。
 1984年12月NHKの日曜美術館で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村」の全国放送を機に漸く世間に知られることになった。
 
 展示は地下一階に神童と呼ばれた若い頃の作品、一階に千葉時代、二階に奄美時代と三会場に分かれています。たくさんの作品に半日でも足りないくらい。
 奄美時代に完成された、南の日差しの中に力強く生える植物や鳥・魚の絵が見る者に感動を与えています。今も、奄美の地では同じ風景があります。私の鍼灸院の裏庭も、こんな感じです。すぐ側の海山はもっと一村の世界です。

20211030一村の描いた奄美の私の庭、海

一村の描いた奄美の私の山、アダン

 二ヶ月にわたる東京都美術館での展覧会により、多くの人に認められ、一村が生前に望んでいた希望が叶い、本当に良かったです。

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