奄美
もう夏休みも終わって今更ですが、7月8月は夏祭りのシーズン、コロナが5類になって、日本全国、あちこちで賑やかに行われたよう。
奄美でも、4年ぶりの夏祭り、そのトップバッターとして、龍郷町で「たつごう祭り」が7月23日に開かれた。初めて参加したが、コロナで自粛していた鬱憤を晴らすかのような、すごい人出。
午前中の舟漕ぎ競争は見られなかったが、夕方からの芸能ショウ(笑)、八月踊り、花火を堪能した。
ショーの始まりは島唄、先ずは小学生が大人顔負けの唄と三線を披露してくれた。そして、いくつものダンスチームが、日本舞踊、ハワイアン、ジャズダンス、モダンダンス、…、と次々と舞台へ上がる。さすが芸能の島。

中には、居合いの師範による演武、生竹を斬る。また、龍郷出身のバンドの熱演もあった。
締めは、八月踊り。秋名集落の担当と言うことで、ペアの幾里集落も含めて相当に練習をしてきた。まんかい鍼灸院の隣の秋名コミュニティセンターで、何日も三線と太鼓の音が夜遅くまで聞こえてきた。
本番もなかなかの達者な踊り。私は今回はカメラマンで、広角と望遠を両手に持ってビデオ撮影をした。終わりの六調では、外国の見物人も含めて大勢が踊りの輪に加わって楽しそうだった。
次回は私も練習から参加して踊りに加わろう。
花火を六調の終わり頃から、打ち上げだして、一層盛り上がった。3千発、近くの港から夜空に打ち上がる。今流行のクラウドで募金を募って、費用もカバーしたとか。
八月踊りと花火は動画もどうぞご覧下さい。
八月踊り1/2(たつごう祭り)
八月踊り2/2(たつごう祭り)
花火1/2(たつごう祭り)
花火2/2(たつごう祭り)
明日から、奄美へまた行ってきます。4:00起きで成田は辛い。しかし、9月末には、一大イベント、国の重要無形民俗文化財『アラセツ行事』が地元で行われる。50数年ぶりに観ることができるのは楽しみ。
2023年9月17日
奄美
50数年ぶりに奄美の年中行事の一つ、浜下り[ハマオレ]※1に参加しました。
浜下り[ハマオレ]は、家族で一重一瓶を持って浜に下り、近所の人と大人は飲み、子供は偶のごちそうに浮かれたものだ。
私の子供の頃は、草競馬ならぬ、浜競馬!があった。農耕馬を持っている人たちが、波打ち際を走らせて競争する。砂浜へ上がるの[ハマアガリ]は禁止で、波を蹴立てて走るのを見るのは子供心が踊ったものだ。今は、機械化で馬は見かけない。その分、人力の舟漕ぎ競争は盛んになっている。
午前は梅雨曇りの中で浜や集落の清掃を行い、夕方に舟漕ぎ競争の予定だった。ところが、夕方は土砂降りで、てっきり中止と思い、雨天時の懇親会場へ行くと、係の人だけで、皆、浜といわれた。
浜へ行ってみると、雨の中、大勢が準備をしている。小一時間もしない間に、奇跡的に雨が止み、舟漕ぎ競争が始まった。秋名幾里集落が合同で、青壮年団、婦人会対抗などいくつもレース、そして七班に分かれた最終レースに向けて、太鼓や声援もあり、盛り上がる。
出足の速い舟も、舵取りを間違えて、目標の旗を大きく廻って遅れたりと、なかなかに面白い。
動画もあります。
舟漕ぎ競争 はじまり
舟漕ぎ競争 一騎打ち
舟漕ぎ競争 三艘対決
舟漕ぎ競争 好勝負
舟漕ぎ競争が終わった後は、班に分かれて懇親会。天気が良ければ、砂浜で弁当を広げるところだが、…。私の属するアガレ班は、コミュニティセンターでテーブル、椅子でゆっくりと歓談をした。タイムマシンに乗ったように、50年前と現実が少しづつ、つながりだしている。
※1 奄美方言[シマユムタ]の音声を[]で括って記述します。奄美方言は、ユネスコが2009年に発表した世界の消滅危機言語の一つに入っていて、保存をしたいところ。何よりも、方言で話すことでしっくりと心に響きます。一口に奄美方言と言っても、集落(入り江一つ、山一つ)毎に微妙に違います。その微妙な違いが同じ人とは、マザータング、当に母の懐に帰ったような思いになります。
2023年6月30日
奄美 鍼灸
昨年の11月に古民家を購入して、リフォームに四苦八苦、涙していましたが、漸く2月10日に奄美分院オープンにこぎ着けました。
外観は、瓦葺きで趣があります。隣はたんかん畑。通りの向こうは田圃(もうすぐ田起しが始まる)。歩いて5分で、海という自然豊かな田園地帯にあります。

正面には、骸骨模型や肩膝の模型を置きました。更に、宇宙地球生命ヒトの歴史や人類5千年の歴史、地球太陽系銀河系局所銀河群ラニアケア超銀河団宇宙の大きさを表す図表を掲示しました。これを援用して時間軸空間軸を広げた視点の転換を通じて、肩腰膝痛などの筋骨系に加えて、精神的な疲れ悩みにも対応したい。
床の間もあり、最近、知人から頂戴した備前長船祐定を飾りたかったが、さすがに物騒なので木刀にしました。真剣は東京で厳重に保管しています。
故郷の良さ、中学校の同級生や親戚が祝ってくれました。
10年前の新宿・代々木の開業の時はもっと元気があったが、今回は弟妹の力を借りて、何とか格好がついた。これからの10年、故郷の人の役に立つべく、月の半分だが、この70年間の人生に培った技量知識経験を全力で注ぎたい。
◎奄美分院を予約する
2023年3月1日
もろもろ 奄美 武道 鍼灸
今はもう誰でも認める社会的地位の職業についている甥っ子に、誰も注意してくれないだろうから、叔父としてお願いの手紙を書いた。
私と同じ後悔をして欲しくないと思って。
昔、子供の頃、母方の祖父が偶に家へ来て所在なげにお茶を飲んでいるのを見た。用事もないのに何をしているんだろうと思ったが今なら、わかる。私たち孫に会いに来たのだ。当時は気の利かない、愛想のない子供(孫)だった。私も一人暮らしで、更にコロナウィルスで、自宅引きこもりで、孤独に強いと思っていたが、子供や孫の電話に癒される。
このメッセージを読んだ方で、今、両親や祖父母と離れて暮らしている人は是非、電話をかけて欲しい。テレビ電話なら。尚良い。海外にいても、LINEやZoomなら、電話料金はさほどかからない。
そう思い、手紙を公開することにした。甥っ子にも思いが素直に伝わるように願っている。
拝啓
普段なら新緑の心地よい時節ながら、新型コロナウィルスで騒然としています。いかがお過ごしでしょうか。
突然の手紙で失礼します。私は、あなたの母親の従兄弟で△△と申します。1970年代に名古屋大学の学生の頃、春夏の休暇には、大阪で泊めて貰い、船で奄美へ帰省していました。まだ、あなたは小学校前でしたでしょうか、大阪城へ弟たちも含めて行った写真が残っています。
私は、大学を卒業してから、NECに就職して、東京でコンピュータソフトウェアの開発をしてきました。定年前に早期退職をして、鍼灸師となり、今は新宿で鍼灸院を開いています。大学から始めた剣道を今も続けていて、毎年、5月には京都で、全国の剣道祭があり参加をしています。その際に、大阪へ出向き、○○姉(あなたの母親)が痛いという膝や腰に鍼をした後、京橋で軽く二人で飲み、私は京都の宿へ帰るのを常としています。今年は中止になりましたが、先ほど、電話で話して、来年は元気に会いましょうと約しました。
手紙を差し上げたのは、お願いの儀があってです。電話で、あなたから連絡が無くて医療従事者で大変なのだろうが、大丈夫かと心配をしていました。『お忙しいと思いますが、1週間に5分で良いので、母親のために時間を割いて、電話をして頂けませんでしょうか』。家庭の事情もわからず、差し出がましいようですが、是非お願いします。
実は、私には今も後悔していることがあります。1996年夏に祖父の13回忌で帰省をする10日前に実家へ電話をした時に、母から、「電話で話したら会ったような気がするよ」と言われました。弟や妹の結婚式で帰省していたのも一段落して、数年会っていませんでした。私も筆無精、電話も余りかけていませんでした。その時は、もうすぐ会えるよと簡単に答えたのですが、…。帰省の1週間前に母は突然、亡くなってしまいました。前から、ほとんどベッドで暮らしている状況でしたが、今日明日に亡くなるとは思えませんでした。葬儀が済んでから、「電話で話したら会ったような気がするよ」というのが遺言のように思えて、それから、毎週、父に電話をするようにしました。電話をしても直ぐに切るので、さしてうれしくもないのかと思っていたが、偶に忘れると妹に、今週は私から電話がなかったとこぼしていたそうです。その父も、もう亡くなりましたが、少しは母への償いができたと思っています。
このお願いは、前から何度も考えながら手紙を出せずにいました。特に、一昨年は、その前の暮れに○○姉がヘルパーで長くお世話をしていた夫婦が相次いで亡くなり、その心痛と膝も相当に悪くて、本当に辛そうでした。昨年会った時は、今年はもう会えないかもと思っていたと言っていました。幸い、昨年は、かなり元気を回復していました。しかし、今は、新型コロナウィルスによる外出自粛要請で、あの狭い部屋に引きこもっています。私も、子供が独立して、連れ合いが亡くなり、一人暮らしです。普段なら、剣道や出歩くことも多いのですが、今は一人引きこもりで、子供や孫とたまに(テレビ)電話で話すのが慰めです。
ご承知のように、新型コロナウィルスに感染、重症化すると面会もできません、万一亡くなっても、葬儀もできません。
京都の剣道祭の折に、大阪まで足を伸ばすようになったのは、2013年の暮れに東京で働いていた年下の従兄弟が亡くなり、明けた2月には、あなたの母の姉が亡くなったのがきっかけです。人の生死はいつとわかりません、会える内に会っておこうと思い、毎年、訪ねるようになりました。
広い部屋をプレゼントして欲しいとは申しません。『忙しいでしょうが、1週間に5分の時間を母親のためにとって、電話をして頂けないでしょうか』。それは、あなたの励ましや慰めにもなると思います。ご検討を切にお願いします。
敬具
2020年5月3日 △△
□□様
(後日談 5月9日)
従姉から、連絡が来た。
甥っ子から、昨日電話があった由。叔父さんから手紙を貰ったからと。
お礼を言われたが、素直に聞いてくれ、良かった。
ほっとした。
2020年5月3日