奄美
奄美 武道
先日(12月1日)、奄美市笠利町太陽が丘総合公園で、碩山杯が有り、初めて、参加(見学)しました。
碩山杯は、奄美の青少年に正しい剣道を通じて、人間性豊かな成長を願い、笠利出身の碩山先生が始めた、奄美で一番大きな剣道大会です。碩山先生が東京警視庁に奉職していた関係で、警察の剣道関係者が指導に来ています。また、私が本社地区(港区)へ転勤する前(かなり前、…)に、東京港区でも稽古・指導をしていた関係から、港区で稽古をしている多くの剣道人も手弁当で参加、顔見知りも来ていました。
前日には練習会もあり、警視庁の権瓶八段が基本の指導を行った。私も、子供達の稽古の元立ちになり、良い汗を流した。3年以上の膝の故障上がりの身として、大事を取って大人との稽古は止めたが、翌日は痛みがあり、まだまだ激しい稽古は無理と思った。
以前よりも参加者が減ったそうだが、複数の学校から混成でチームを作ったり、奄美全体で一体となった大会だ。2会場で小中学生の団体戦、個人戦から一般まで元気いっぱい、熱の入った試合が展開された。
2024年12月5日
奄美
今は奄美に来ています。
小中の同級生に鍼をしている時に、こんなコンサートがある、マリスト高校の後輩だよと誘われて、それじゃ行ってみるかと数十年ぶりに、11月24日に、奄美市のアマホームPLAZAであったポピュラー音楽の演奏会に行った。
還暦というので赤いスーツで登場して、いきなり、声を張り上げてシャウト。こんなんで1時間以上も持つのかと思ったが、なんと、2時間半も、最後まで、一人で歌いきった。それも、澄んだ濁りの無い声で、会場中に声が届いた。
ギターにピアノと多彩な腕を披露した。バンドは親しい仲間のようで、一体感があった。ダンサーもシニアの手練れ。
終わったら、マリストの親しい同期と久し振りに飲もうと事前に話をして、同じ平田という名字なので、関係あるの?と聞いたら、実は弟と言うのでびっくり。先の小中の同級生から、打上げもあるよと言うので、そこに混ぜて貰うことにした。それが、馬酔木を貸しきりで満員、奈良京都大阪から追っかけ、東京の大勢、奄美の応援団がさらに大勢で、楽しく過ごした。妹の家に泊めて貰うことにしてあって義弟が待ちくたびれた所へ遅くに帰った。
短いが、動画もあります。
熱演1 暗闇から浮かび上がるドラム
熱演2 ギター競演
熱演3 ピアノで盛り上がる
熱演4 ダンサーと奄美あん
熱演5 フィナーレ
2024年12月4日
奄美
奄美つながりで紹介します。
展示は12月1日まで、もうすぐ終わります。
興味ある方は是非、お出でください。但し混んでいます。
この二ヶ月で、20万人を超える入場者。私が行った10月30日も平日にもかかわらず、入場券を買うのに長蛇の列でした。
テレビやネットで紹介されているのでご存じの方多いでしょうが、…。
1908年7月に栃木で生まれて、6歳から東京で彫刻家の父の元で、日本画を学び、神童と呼ばれる。東京美術学校(現・東京藝術大学)に合格しながらも2ヵ月で退学。
父や身内の死により、1938年5月に千葉へ移り、農業をしながら、独自に画業の生活を送る。中央画壇へ出品を続けるも、認められたのは、川端龍子の展覧会に入選した1作品のみ。
失意の中で、九州旅行、宮崎の南国風景に目覚め、より南の奄美へ1958年12月に50歳で渡る。以後、紬の染色工として3年働き、2年間絵を描く生活を続けて、不遇のまま1977年9月に69歳で亡くなった。
1984年12月NHKの日曜美術館で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村」の全国放送を機に漸く世間に知られることになった。
展示は地下一階に神童と呼ばれた若い頃の作品、一階に千葉時代、二階に奄美時代と三会場に分かれています。たくさんの作品に半日でも足りないくらい。
奄美時代に完成された、南の日差しの中に力強く生える植物や鳥・魚の絵が見る者に感動を与えています。今も、奄美の地では同じ風景があります。私の鍼灸院の裏庭も、こんな感じです。すぐ側の海山はもっと一村の世界です。
二ヶ月にわたる東京都美術館での展覧会により、多くの人に認められ、一村が生前に望んでいた希望が叶い、本当に良かったです。
2024年11月27日
奄美 武道
5月の連休は、5年ぶりに京都大会に参加した。コロナと左膝半月板の損傷で、ご無沙汰していた京都へ漸く行けた。わずか1分半だが、六段錬士以上から八段範士まで全国から参集して、伝統ある武徳殿で、立ち会えるのは感慨ひとしおだ。
かっては1日早く来て観光をしたが、今回は歩き回るのは控えて近くを散歩した。それでも、宿近くの南禅寺で、昼に湯豆腐、夜ににしんそばと京都の空気を味わった。半日は、タクシーで、京都国立博物館で開催している雪舟展を見学できた。雪舟が日本画の巨大な流れの中心として多くの画家に敬愛され、引き継がれたことがわかった。
ビデオを見ると身体が出ていない。今は奄美大島に来ているので、まっすぐのたんぼ道を走り、砂浜をダッシュまで持ち込んで、6月半ばに東京へ戻ったときは本格的に地稽古をしたい。
2024年5月22日
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