奄美

甥っ子への手紙

もろもろ 奄美 武道 鍼灸

今はもう誰でも認める社会的地位の職業についている甥っ子に、誰も注意してくれないだろうから、叔父としてお願いの手紙を書いた。
私と同じ後悔をして欲しくないと思って。

昔、子供の頃、母方の祖父が偶に家へ来て所在なげにお茶を飲んでいるのを見た。用事もないのに何をしているんだろうと思ったが今なら、わかる。私たち孫に会いに来たのだ。当時は気の利かない、愛想のない子供(孫)だった。私も一人暮らしで、更にコロナウィルスで、自宅引きこもりで、孤独に強いと思っていたが、子供や孫の電話に癒される。

このメッセージを読んだ方で、今、両親や祖父母と離れて暮らしている人は是非、電話をかけて欲しい。テレビ電話なら。尚良い。海外にいても、LINEやZoomなら、電話料金はさほどかからない。
そう思い、手紙を公開することにした。甥っ子にも思いが素直に伝わるように願っている。

 拝啓
普段なら新緑の心地よい時節ながら、新型コロナウィルスで騒然としています。いかがお過ごしでしょうか。
 突然の手紙で失礼します。私は、あなたの母親の従兄弟で△△と申します。1970年代に名古屋大学の学生の頃、春夏の休暇には、大阪で泊めて貰い、船で奄美へ帰省していました。まだ、あなたは小学校前でしたでしょうか、大阪城へ弟たちも含めて行った写真が残っています。

 私は、大学を卒業してから、NECに就職して、東京でコンピュータソフトウェアの開発をしてきました。定年前に早期退職をして、鍼灸師となり、今は新宿で鍼灸院を開いています。大学から始めた剣道を今も続けていて、毎年、5月には京都で、全国の剣道祭があり参加をしています。その際に、大阪へ出向き、○○姉(あなたの母親)が痛いという膝や腰に鍼をした後、京橋で軽く二人で飲み、私は京都の宿へ帰るのを常としています。今年は中止になりましたが、先ほど、電話で話して、来年は元気に会いましょうと約しました。

 手紙を差し上げたのは、お願いの儀があってです。電話で、あなたから連絡が無くて医療従事者で大変なのだろうが、大丈夫かと心配をしていました。『お忙しいと思いますが、1週間に5分で良いので、母親のために時間を割いて、電話をして頂けませんでしょうか』。家庭の事情もわからず、差し出がましいようですが、是非お願いします。

 実は、私には今も後悔していることがあります。1996年夏に祖父の13回忌で帰省をする10日前に実家へ電話をした時に、母から、「電話で話したら会ったような気がするよ」と言われました。弟や妹の結婚式で帰省していたのも一段落して、数年会っていませんでした。私も筆無精、電話も余りかけていませんでした。その時は、もうすぐ会えるよと簡単に答えたのですが、…。帰省の1週間前に母は突然、亡くなってしまいました。前から、ほとんどベッドで暮らしている状況でしたが、今日明日に亡くなるとは思えませんでした。葬儀が済んでから、「電話で話したら会ったような気がするよ」というのが遺言のように思えて、それから、毎週、父に電話をするようにしました。電話をしても直ぐに切るので、さしてうれしくもないのかと思っていたが、偶に忘れると妹に、今週は私から電話がなかったとこぼしていたそうです。その父も、もう亡くなりましたが、少しは母への償いができたと思っています。

 このお願いは、前から何度も考えながら手紙を出せずにいました。特に、一昨年は、その前の暮れに○○姉がヘルパーで長くお世話をしていた夫婦が相次いで亡くなり、その心痛と膝も相当に悪くて、本当に辛そうでした。昨年会った時は、今年はもう会えないかもと思っていたと言っていました。幸い、昨年は、かなり元気を回復していました。しかし、今は、新型コロナウィルスによる外出自粛要請で、あの狭い部屋に引きこもっています。私も、子供が独立して、連れ合いが亡くなり、一人暮らしです。普段なら、剣道や出歩くことも多いのですが、今は一人引きこもりで、子供や孫とたまに(テレビ)電話で話すのが慰めです。

 ご承知のように、新型コロナウィルスに感染、重症化すると面会もできません、万一亡くなっても、葬儀もできません。
 京都の剣道祭の折に、大阪まで足を伸ばすようになったのは、2013年の暮れに東京で働いていた年下の従兄弟が亡くなり、明けた2月には、あなたの母の姉が亡くなったのがきっかけです。人の生死はいつとわかりません、会える内に会っておこうと思い、毎年、訪ねるようになりました。

 広い部屋をプレゼントして欲しいとは申しません。『忙しいでしょうが、1週間に5分の時間を母親のためにとって、電話をして頂けないでしょうか』。それは、あなたの励ましや慰めにもなると思います。ご検討を切にお願いします。
                                  敬具
   2020年5月3日                       △△

  □□様

今度の帰省も”鍼”三昧

奄美 鍼灸

甥の結婚式の帰省で、大勢に鍼をした。
ただ、今年の1月に急逝した義母にできなかったのは残念だった。それでも、98歳の天寿を全うし、昨年の10月に台風による滞在延長も含めて、たっぷりと鍼をして喜んで貰ったので、やりきった感はある。

今回の特筆すべきは、鍼は嫌だ(恐い?)と言っていた義弟が初めて腰が痛いと鍼を所望したことだ。腰だけで無く、首肩もがちがちに凝っているので鍼をした。本人は、肩こりは自覚したことが無いという珍しいタイプだ。しかし、時々、頭痛がするという。良く聞くと、締め付けるような頭痛で、首肩こりからくる筋緊張性頭痛そのもの。腰も首肩も運動鍼を加えた。
20181215伸博鍼
今回は義弟宅に泊まっていたが、次の日に、彼の方から腰は良くなったから、首肩に鍼を欲しいとリクエストがあった。一辺で良くなっても、…、まだ硬さが残っているので、腰と首肩と両方に鍼をした。
鍼灸エバンジェリストとして、一宿一飯のお礼として、鍼を使える良き旅であった。

大河ドラマ「西郷どん」オープニング映像の地”宮古崎”を訪ねる

奄美

甥の結婚式に奄美大島へ帰省をしました。
今年のNHK大河ドラマ「西郷どん」オープニング映像の最後の方(2分20秒頃)に出てくる宮古崎まで行ってきました。

道路から1.5kmほど入ったところで、東シナ海を見下ろす雄大な景色です。切り立った崖下には紺碧の海が見えます。放送を機に道を整備したそうで、結構、人が入ってきます。
20181215奄美大島宮古埼1
20181215奄美大島宮古埼2

最終回を含めて、今まで史実と伝えられてきた内容とかなり違うところもあったが観光客が増えることには感謝です。
私としては、奄美の場面で、字幕が入ったのが気に入らなかったが。私の子供の頃に使っていた方言と共通語をない交ぜにした(トンフツウゴと言われた)よりも共通語に近い。薩摩弁と同じくらいのわかりやすさだったのではないか。どうせ字幕を出すなら、古老の使っているコテコテの方言を使って欲しかった。まあ、若い地元の人間にもわからないだろうから、しょうが無いかも知れない。

#150年前から大勢が移住したハワイに純粋広島弁が残るように、中学卒業と共に島から離れた私には、明治初期に生まれた祖父の語り口が耳に焼き付いている。その言葉を聞きたかった。

吉祥寺ハーモニカ横町”アンテナショップ奄美”第二報

IT 奄美

先週(11/11)の月曜日は、デジタルマーケティング研究会の11月例会だった。たまたま発表予定のメンバーの一人が欠席だったので、早めに終わって、落合会長はじめ、都合のつく者で立ち寄った。
ずらり並んだ黒糖焼酎から、おすすめの何種類かをそれぞれ、お湯割りやロックで楽しんだ。つまみの料理も好評で、紹介した私もいい気持ちであった。
P_20181112_204858アンテナショップ奄美 DM研メンバー.png
また、たまたま、この企画の仕掛け人で責任者のあまみ商工会の里専務理事も来ていて、笠利と龍郷という隣町同士とわかり、共通の知人も何人かいて、親しく話をし、支援をしますよということで盛り上がった。
是非とも奄美の発信基地として、気軽に立ち寄れる憩いの場として繁盛してほしいものだ。
P_20181112_204858アンテナショップ奄美 女将・責任者と三人.png

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