「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」東京都美術館

奄美

奄美つながりで紹介します。
展示は12月1日まで、もうすぐ終わります。
 興味ある方は是非、お出でください。但し混んでいます。
この二ヶ月で、20万人を超える入場者。私が行った10月30日も平日にもかかわらず、入場券を買うのに長蛇の列でした。

20241030一村展看板

テレビやネットで紹介されているのでご存じの方多いでしょうが、…。
 1908年7月に栃木で生まれて、6歳から東京で彫刻家の父の元で、日本画を学び、神童と呼ばれる。東京美術学校(現・東京藝術大学)に合格しながらも2ヵ月で退学。
 父や身内の死により、1938年5月に千葉へ移り、農業をしながら、独自に画業の生活を送る。中央画壇へ出品を続けるも、認められたのは、川端龍子の展覧会に入選した1作品のみ。
 失意の中で、九州旅行、宮崎の南国風景に目覚め、より南の奄美へ1958年12月に50歳で渡る。以後、紬の染色工として3年働き、2年間絵を描く生活を続けて、不遇のまま1977年9月に69歳で亡くなった。
 1984年12月NHKの日曜美術館で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村」の全国放送を機に漸く世間に知られることになった。
 
 展示は地下一階に神童と呼ばれた若い頃の作品、一階に千葉時代、二階に奄美時代と三会場に分かれています。たくさんの作品に半日でも足りないくらい。
 奄美時代に完成された、南の日差しの中に力強く生える植物や鳥・魚の絵が見る者に感動を与えています。今も、奄美の地では同じ風景があります。私の鍼灸院の裏庭も、こんな感じです。すぐ側の海山はもっと一村の世界です。

20211030一村の描いた奄美の私の庭、海

一村の描いた奄美の私の山、アダン

 二ヶ月にわたる東京都美術館での展覧会により、多くの人に認められ、一村が生前に望んでいた希望が叶い、本当に良かったです。

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