もろもろ
もろもろ 坐禅
中国河西回廊石窟寺院を訪ねて 5 料理
この辺りはイスラム教徒が多い。豚は御法度、牛面(牛肉麺)が特産。
食事は全般に脂っ気が多かったが、「牛と羊のしゃぶしゃぶ」だったり、最終日は「西安一のシーフードレストラン(鮭の刺身は極上だった、貝も)」と美味しい思いもした。度数50度の白酒、最上級と触れ込みだけあって喉越しがヒリッといい。
中国河西回廊石窟寺院を訪ねて 6 北石窟寺・南石窟寺
北石窟寺と南石窟寺。写真は禁止で、北石窟寺は外からだけ。南石窟寺は外はただの岩肌で、鎖突きの階段を上って石窟の中の仏像を見る。重要なのは皆鍵がかかっている。
中国河西回廊石窟寺院を訪ねて 7 紅葉の黄土高原
黄土高原を行く。紅葉が始まったばかりの広大な高原をバスは走る、ひたすら走る。禿げ山だったのに植林をしたので、段差毎にグラデーションを描いたように色々な樹木が紅葉している。時には、岩肌に紅葉も見られる。
途中の小高い土森は、初期の万里の長城ののろし台という。
中国河西回廊石窟寺院を訪ねて 8 須弥山石窟
ここも世界遺産。何度も来ている添乗員の話では、随分と整備をされたという。入口から石窟のとりつきまでは、案内人の好意でバスで昇ることができた。
高い所にある。谷底には、かってのシルクロードが走っている。
巨大な仏像をこんな高い山にどうしてつくったのか。石窟の中の仏像に外光が当たると気高さが増す。
2016年11月4日
もろもろ 坐禅
中国河西回廊石窟寺院を訪ねて 1 旅程
坐禅会を指導している老師と共に、河西回廊石窟寺院を訪ねて、中国へ旅行してきました。
国慶節の終わった後で、人が少なく、ゆっくりと観ることができました。
西安から敦煌へ通じる道の1/4くらいの範囲でしたが、中国は広いです。4日間で、専用バスは2800kmを走りました。
石窟はいずれも高い山の崖を穿って、仏像を彫ってあり、高度感が半端なく、高い所は得意でないので、冷や冷やしながらの参観でした。
中国河西回廊石窟寺院を訪ねて 2 世界遺産である”大佛寺”
光に当たって美しく見える所もあるが、かなり崩れています。
三国志の勇将6関羽を治療する伝説の名医華佗の絵もありました。係員は、参拝客に目もくれずに何かを読みふけっている。
中国河西回廊石窟寺院を訪ねて 3 朝はダンス
朝、広場で太極拳をやっていたら参加しようと思ったのですが、どこもかしこもダンスです。現地のガイドはラジオ体操のようなものだ。体育局のお役人が各地に派遣されて、指導をしているという。
以前、玄奘三蔵法師の足跡をたどる旅をしたときには、ゆったりと太極拳をする人や、水筆で石畳に書いている人、思い思いの様を見かけたものですが、…。ホテルを出発するバスから漸く、小規模の太極拳をする人たちを見かけました。今は、広場も、公園もダンスばかり。女性が多いです。音楽に合わせて、統一感があるような無いような自由な踊りでした。一人、皆から離れて木陰で踊っている中年男性もいました。
原州という古代城壁の前では、羽根突きと蹴鞠を併せたような、羽を足で蹴って遊んでいる人たちもいた。うまいもので、前だけでなく、後ろにも色んな方向から蹴って、つないでいた。
中国河西回廊石窟寺院を訪ねて 4 りんご栽培
林檎の栽培が盛ん。道路に売りに出ている。添乗員さんが買っていこうと臨機応変に行動。バスの中でみんなかじったら、かりっと硬くて歯触り良く美味しかった。その後も、ホテルでも出してもらい、何度か味わった。
あまり宣伝されていないが、数十年前に、日本の農林省から指導に入って、良いものができるようになったという。こういう行為は時流が変われば、高く評価されるだろう。トウモロコシ畑ばかりだったのが、換金性が高く、見渡す限り、林檎畑になったという。トウモロコシ畑は少なかった。
三輪車も多い。トラックがすごい、過積載だと思うが12輪。坂道はタイヤがバーストしないように水をかけながら走るという。
2016年11月4日
もろもろ
日仏会館からイベント案内があって講演会に行ってみた。
昨年、一休フォーラムに参加したので案内が来たようだ。あの時は、フランスでテロがあった直後で緊迫した感じだった。入口は一カ所だけに制限してあった、今も同じだが。
日仏会館長の日本婦人の流麗なフランス語と日本語の挨拶の後に、ボルタンスキーと横浜美術館長の逢坂英理子さんの対談形式で進んだ。
同時通訳は、さすが日仏会館、分かりやすい日本語で、詰まることもなく、すらすらと訳してくれる。
東京庭園美術館(旧朝香宮邸)で、丁度、9/22から12/25まで、展覧会をやっているという。毎回、展示会のその場所での体験を感じ取り、印象を活かすそうだ。
1986年にICA名古屋で日本初の展覧会では、古着を名古屋市民から募集して展示をした。一つ一つに想い出があり、クリーニングをされてきたのに感動して、木の橋を作って着物を踏まないで見ることができるようにしつらえたという。逢坂さんはその時のキュレーターだという。
印象的な言葉がいくつも残った。深い考えを感じた。仏教に近い考えを持っている。
1986年以来、何度も来日して、日本に来るのを楽しみにしているという。
日本は宗教的な国ではないが、亡霊、死者への信仰には深いものがあるという。
一番大事なのは何もしない時間。落ち込んでいる中にも、何か見つかるかも知れない、夢を見ることだ。何もしないのは難しい、それで、活動、このように海外へ来ている。
13歳から学校には行っていない。独学で教養を身につけた。アーチストは何からでも学ぶ。
スイス人の死という作品から、「私達は常に日々死んでゆく」、生きていく視点ががらっと変わることを体験するだろう。
クリエイティブな時期は三つあった。旅をしたことを語るようなもの。
(1)思春期 1970年代
(2)両親を亡くした時 1984年
(3)高齢に入った時
「心臓音」という作品では、8万人の音を蔵している。亡くなった人もある。外国から、その子どもが聴きに来た。想い出は残る?いや、その人がいると感じるより、その人がいないことをより強く感じるのじゃないか。
びっくりしたのは、「The Life of CB (私の人生を売った)」と言うこと。アトリエでの生活、行動を24時間、録画されている。そして、タスマニア島で、毎週、今週のベストショットして公開をしている。私の残りの人生を年金として売った。買ったのは、ギャンブルで財を成した人で、人生で一度も負けたことがないという。だから、彼が損をしないうちに、私は死ぬのかもしれないと(暗に語った)。
私の人生全てを保存するという。買った男はさらに、ボルタンスキーが亡くなったときに、遺骨の灰まで買いたいと言ってきたが、それは断ったという。
ずーっとモニターを見ている男がいる。この雇われた男は哀れにも自分の人生を生きることができない。モニターを見続けるだけの生活。
#なかなかシュールな世界、やりとりだ。
自分の作品は、敢えて行きにくい場所に作る事に意味がある。
そこへ行くまでに思いをはせることが大事だと思う。
例えば、日本の瀬戸内海に浮かぶ豊島には、海辺の東屋に最終的に2万人(今1万人)の「心臓音のアーカイブ」、見つけにくい場所にある400個の風鈴が風になびき、静かな音を奏でる「ささやきの森」、などが展示されている。
会場からの質問で、録画が残っていれば、初音ミクのようにインターネット上でバーチャルなスターとして様々な加工をして映像が活躍するのじゃないかという事に対して。
記録したものが再生されて生き続けるのは良いと思わない。消滅を恐れる風潮には賛成できない。消えることがいいのだ。人間が人間になるのは、墓を作った時だ。消滅が私を苦しめもするが、そこ(墓)で発する一言によって人物となる。
#含蓄ある人だ。
東京庭園美術館へ時間を見つけて行ってみよう。
また、2019年には日本国内三カ所で大展覧会をやるという。
2016年10月9日
もろもろ
夏の振り返り。
8/27原宿表参道元氣祭スーパーよさこい
今年も、全国から思い思いの衣装で集まって、舞台狭しと“よさこい鳴子踊り”を踊っていました。
自由な衣装が見物です。若い人が多く、異次元空間を創出しています。
代々木公園で、事前に練習をしているグループがたくさんです。
2016年9月11日
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