クリスチャン・ボルタンスキー 「アニミタス-さざめく亡霊たち」展 記念講演会(9/22)

もろもろ

日仏会館からイベント案内があって講演会に行ってみた。
昨年、一休フォーラムに参加したので案内が来たようだ。あの時は、フランスでテロがあった直後で緊迫した感じだった。入口は一カ所だけに制限してあった、今も同じだが。
20160922ボルタンスキー-さざめく亡霊たち 講演会
日仏会館長の日本婦人の流麗なフランス語と日本語の挨拶の後に、ボルタンスキーと横浜美術館長の逢坂英理子さんの対談形式で進んだ。
同時通訳は、さすが日仏会館、分かりやすい日本語で、詰まることもなく、すらすらと訳してくれる。
東京庭園美術館(旧朝香宮邸)で、丁度、9/22から12/25まで、展覧会をやっているという。毎回、展示会のその場所での体験を感じ取り、印象を活かすそうだ。

1986年にICA名古屋で日本初の展覧会では、古着を名古屋市民から募集して展示をした。一つ一つに想い出があり、クリーニングをされてきたのに感動して、木の橋を作って着物を踏まないで見ることができるようにしつらえたという。逢坂さんはその時のキュレーターだという。
印象的な言葉がいくつも残った。深い考えを感じた。仏教に近い考えを持っている。
1986年以来、何度も来日して、日本に来るのを楽しみにしているという。

日本は宗教的な国ではないが、亡霊、死者への信仰には深いものがあるという。
一番大事なのは何もしない時間。落ち込んでいる中にも、何か見つかるかも知れない、夢を見ることだ。何もしないのは難しい、それで、活動、このように海外へ来ている。
13歳から学校には行っていない。独学で教養を身につけた。アーチストは何からでも学ぶ。
スイス人の死という作品から、「私達は常に日々死んでゆく」、生きていく視点ががらっと変わることを体験するだろう。

クリエイティブな時期は三つあった。旅をしたことを語るようなもの。
(1)思春期 1970年代
(2)両親を亡くした時 1984年
(3)高齢に入った時

「心臓音」という作品では、8万人の音を蔵している。亡くなった人もある。外国から、その子どもが聴きに来た。想い出は残る?いや、その人がいると感じるより、その人がいないことをより強く感じるのじゃないか。
びっくりしたのは、「The Life of CB (私の人生を売った)」と言うこと。アトリエでの生活、行動を24時間、録画されている。そして、タスマニア島で、毎週、今週のベストショットして公開をしている。私の残りの人生を年金として売った。買ったのは、ギャンブルで財を成した人で、人生で一度も負けたことがないという。だから、彼が損をしないうちに、私は死ぬのかもしれないと(暗に語った)。
私の人生全てを保存するという。買った男はさらに、ボルタンスキーが亡くなったときに、遺骨の灰まで買いたいと言ってきたが、それは断ったという。
ずーっとモニターを見ている男がいる。この雇われた男は哀れにも自分の人生を生きることができない。モニターを見続けるだけの生活。
#なかなかシュールな世界、やりとりだ。

自分の作品は、敢えて行きにくい場所に作る事に意味がある。
そこへ行くまでに思いをはせることが大事だと思う。
例えば、日本の瀬戸内海に浮かぶ豊島には、海辺の東屋に最終的に2万人(今1万人)の「心臓音のアーカイブ」、見つけにくい場所にある400個の風鈴が風になびき、静かな音を奏でる「ささやきの森」、などが展示されている。

会場からの質問で、録画が残っていれば、初音ミクのようにインターネット上でバーチャルなスターとして様々な加工をして映像が活躍するのじゃないかという事に対して。
記録したものが再生されて生き続けるのは良いと思わない。消滅を恐れる風潮には賛成できない。消えることがいいのだ。人間が人間になるのは、墓を作った時だ。消滅が私を苦しめもするが、そこ(墓)で発する一言によって人物となる。
#含蓄ある人だ。

東京庭園美術館へ時間を見つけて行ってみよう。
また、2019年には日本国内三カ所で大展覧会をやるという。

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