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平田輝 還暦&ニューアルバム発売記念LIVE

奄美

 今は奄美に来ています。
 小中の同級生に鍼をしている時に、こんなコンサートがある、マリスト高校の後輩だよと誘われて、それじゃ行ってみるかと数十年ぶりに、11月24日に、奄美市のアマホームPLAZAであったポピュラー音楽の演奏会に行った。
 還暦というので赤いスーツで登場して、いきなり、声を張り上げてシャウト。こんなんで1時間以上も持つのかと思ったが、なんと、2時間半も、最後まで、一人で歌いきった。それも、澄んだ濁りの無い声で、会場中に声が届いた。
 ギターにピアノと多彩な腕を披露した。バンドは親しい仲間のようで、一体感があった。ダンサーもシニアの手練れ。

 終わったら、マリストの親しい同期と久し振りに飲もうと事前に話をして、同じ平田という名字なので、関係あるの?と聞いたら、実は弟と言うのでびっくり。先の小中の同級生から、打上げもあるよと言うので、そこに混ぜて貰うことにした。それが、馬酔木を貸しきりで満員、奈良京都大阪から追っかけ、東京の大勢、奄美の応援団がさらに大勢で、楽しく過ごした。妹の家に泊めて貰うことにしてあって義弟が待ちくたびれた所へ遅くに帰った。

 

短いが、動画もあります。
熱演1 暗闇から浮かび上がるドラム

熱演2 ギター競演

熱演3 ピアノで盛り上がる

熱演4 ダンサーと奄美あん

熱演5 フィナーレ

「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」東京都美術館

奄美

奄美つながりで紹介します。
展示は12月1日まで、もうすぐ終わります。
 興味ある方は是非、お出でください。但し混んでいます。
この二ヶ月で、20万人を超える入場者。私が行った10月30日も平日にもかかわらず、入場券を買うのに長蛇の列でした。

20241030一村展看板

テレビやネットで紹介されているのでご存じの方多いでしょうが、…。
 1908年7月に栃木で生まれて、6歳から東京で彫刻家の父の元で、日本画を学び、神童と呼ばれる。東京美術学校(現・東京藝術大学)に合格しながらも2ヵ月で退学。
 父や身内の死により、1938年5月に千葉へ移り、農業をしながら、独自に画業の生活を送る。中央画壇へ出品を続けるも、認められたのは、川端龍子の展覧会に入選した1作品のみ。
 失意の中で、九州旅行、宮崎の南国風景に目覚め、より南の奄美へ1958年12月に50歳で渡る。以後、紬の染色工として3年働き、2年間絵を描く生活を続けて、不遇のまま1977年9月に69歳で亡くなった。
 1984年12月NHKの日曜美術館で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村」の全国放送を機に漸く世間に知られることになった。
 
 展示は地下一階に神童と呼ばれた若い頃の作品、一階に千葉時代、二階に奄美時代と三会場に分かれています。たくさんの作品に半日でも足りないくらい。
 奄美時代に完成された、南の日差しの中に力強く生える植物や鳥・魚の絵が見る者に感動を与えています。今も、奄美の地では同じ風景があります。私の鍼灸院の裏庭も、こんな感じです。すぐ側の海山はもっと一村の世界です。

20211030一村の描いた奄美の私の庭、海

一村の描いた奄美の私の山、アダン

 二ヶ月にわたる東京都美術館での展覧会により、多くの人に認められ、一村が生前に望んでいた希望が叶い、本当に良かったです。

5年ぶりに京都大会に参加

奄美 武道

 5月の連休は、5年ぶりに京都大会に参加した。コロナと左膝半月板の損傷で、ご無沙汰していた京都へ漸く行けた。わずか1分半だが、六段錬士以上から八段範士まで全国から参集して、伝統ある武徳殿で、立ち会えるのは感慨ひとしおだ。

202405京都大会立合い

 かっては1日早く来て観光をしたが、今回は歩き回るのは控えて近くを散歩した。それでも、宿近くの南禅寺で、昼に湯豆腐、夜ににしんそばと京都の空気を味わった。半日は、タクシーで、京都国立博物館で開催している雪舟展を見学できた。雪舟が日本画の巨大な流れの中心として多くの画家に敬愛され、引き継がれたことがわかった。

202405京都大会 南禅寺 湯豆腐 にしんそば 雪舟伝説展

 ビデオを見ると身体が出ていない。今は奄美大島に来ているので、まっすぐのたんぼ道を走り、砂浜をダッシュまで持ち込んで、6月半ばに東京へ戻ったときは本格的に地稽古をしたい。

202405京都大会反省 田んぼを走り、砂浜をダッシュ

西郷小浜公園…奄美大島の西郷隆盛住居跡に完成

奄美

 奄美大島の西郷隆盛住居跡に公園が完成したというので、見てきました。流刑の地というのは出身者として引っかかるものもあるが、中学校の校歌にも、”南州遺訓たれし村”とあるように、身を捨てて国事に尽くした西郷の志は、私の身にも幾分かは生きているように思う。

西郷小浜公園

 西郷小浜公園 一家の銅像や芝生広場「末永く愛される公園に」
https://amamishimbun.co.jp/2024/03/23/49260/

 駐車場が有り、トイレがあって便利などと不埒なことを考えたが、、、。
奄美で産まれた西郷の子供達のひ孫が、「やっと家族が一緒になれた」という銅像への思いを読んで、子供だけ薩摩に引き取られて、一人島に残った愛加那の事を思うと、胸に迫るものがあった。

 もう一度、じっくりと訪ねよう。また、空港と寓居(東京との二拠点生活を始めた)との通り道にあるので、毎月ここを通る度に、愛加那の思い、西郷の思い、一家の思いを胸に致すことになりそうだ。
「隆盛家族の像」に感慨 菊次郎、菊草のひ孫が町民に感謝
 ……日本の礎を作った隆盛と、再会することがかなわかった家族が並んだ像ができた。町民と西郷塾に感謝したい

島のブルース碑

 龍郷町育ちの渡久地政信が作曲、三沢あけみが歌って大ヒットをした「『島のブルース』碑」がすぐ隣にある。ボタンを押すと2コーラス聴くことが出来ます
 奄美大島も沖縄同様に、戦後アメリカの信託統治になっていたが、先に日本へ復帰できた。その70周年記念が、昨年、東京では大田区民ホール・アプリコであり、里アンナが朗々たる歌声を聴かせてくれた。その10年前、60周年記念は、渋谷公会堂で行われて、三沢あけみの生の島のブルースを聴けた。
その時の記事は、こちら。
http://mankai3.com/?p=924
 ちなみに、70周年記念では、式典の後、祝賀会の前に、芸能の島らしく、4時間近くもいろんな出し物があり、堪能しました。中でも、福山幸司、前山真吾というベテラン、若手の島唄の名人が感動ものであった。

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