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初めての? ヴァイオリン・リサイタル

もろもろ

ピアノはちょくちょく聴くが、ヴァイオリンは初めてじゃないかな。先日(2019/10/18)、武蔵野市民会館小ホールに雨の中出かけけた。

1964年ミュンヘン生まれのインゴルフ・トゥルバンの演奏。世界各国で演奏活動を行うと共に、大学で後進の指導にも当たっているという。
 長身で、端正な演奏。最初のタルティーニの「悪魔のトリル」も難度の高い技巧的な曲だが、淡々と弾きこなす。次のシューベルトの「華麗なるロンド」は、伴奏ピアノのフォルテから始まる掛け合いが素晴らしかった。ベートヴェンの「ソナタ第二番」も良かったが、最後のサラサーテの「カルメン幻想曲」では興が乗って楽しそうに弾いていて、こちらも引き込まれた。

 

 終わると、聴いていて久しぶりにこちらの顔がほころび、笑顔で拍手をしていた。
#最近、鍼灸院と自宅と二台のPCを入れ替えてセットアップに手間取り、お疲れのようだったが。

 観客は高齢者が多い。心豊かになったせいか、帰るときに超スローな動きの夫婦が前を歩いていたが、ゆっくりと後を着いて出た。会場出口にはスタッフが車いすを用意して待っていた。武蔵野市はなかなかゆとりがある。

 伴奏は、N響で数多くの指揮をしたサヴァリッシュの親戚というサヴァリッシュ朋子さん、ミュンヘンと名古屋で活躍しているそうだ。

原宿表参道元氣祭、スーパーよさこい

もろもろ 鍼灸

 左足ハム肉離れが痛みはなくなったが、瘢痕治癒状態で硬くて、師匠からは激しい運動は禁止状態が続いています。痛みが無くて、剣道をしたくてむずむずしていますが、再発したら松葉杖という脅しが単なる脅しでなく、危険性をわかるので泣く泣く押さえています。
 それで、土曜日(8/21)は、明治神宮から代々木公園といういつものコースをゆっくりジョギングに行ってきました。そしたら、思いがけなく、原宿表参道元氣祭り、スーパーよさこい祭りをやっていました。今頃だったんだ。思い思いの衣装がすごいです。代々木体育館はオリンピックに向けて長い改修工事中ですが、その裏に行くと、もう一つの舞台と、屋台がたくさん出ていました。暑い中、並んで、デカ串とビールでお昼代わりにしました。

20190824原宿表参道元氣祭り スーパーよさこい1
20190824原宿表参道元氣祭り スーパーよさこい2
20190824原宿表参道元氣祭り スーパーよさこい3


#日曜日(8/25)は、自宅周囲をゆっくりジョギングをして、太極拳をしました。これはスローだから良いと許可が出ているが、片足空気椅子は辛い。

NHKあさイチでスタンフォード大学IAP呼吸法を紹介

武道 鍼灸

昨日(2019/07/23)のNHKあさイチで、スタンフォード大学のスポーツ選手向けの呼吸法が紹介されたと知人から聞いた。ネットで検索するとかなりの話題になっている。

 IAP呼吸法という。IAPは、Intra Abdominal Pressureの略で、おなかの中の圧力のこと。息を吸ったり吐いたりするときにおなかをふくらませたまま行うことで、おなかの中の圧力が高まり、体のゆがみが補正されるため疲れにくいカラダになるそうです。
 常にお腹の中に圧力がかかったままになり、脊髄が安定して、疲れにくい体になる。選手の腰痛が減り、パフォーマンスも向上したという。
 スタンフォード大学というと、シリコンバレーのITベンチャーの苗床と思っていたら、タイガー・ウッズやジョン・マッケンローなど、多くのプロアスリートも輩出しているという。
 このサイトで、「気持ちよい呼吸=正しい呼吸法」として、紹介した「逆腹式呼吸」と同じだ(ネーミングの洗練さでは負けているが)。

「剣の悟りを求めて」 ー剣の悟りを求めて入ったが、力まず現実直視の心を学ぶー

坐禅 武道

 数年前の”南無の会坐禅会600回記念”で、ただのパーティで無く、参加者が坐禅で得た功徳(メリット)を論集にしようと指導されている中野先生が発案されて、かなりの投稿が集まりました。それぞれに興味深いものでした。

 本人の投稿文は公開しても良いというので、遅ればせながら紹介します。長文なので、時間がある方はどうぞ。

「剣の悟りを求めて」
ー剣の悟りを求めて入ったが、力まず現実直視の心を学ぶー

 私は長く剣道をしていて、昔の剣豪が坐禅をして悟った事に興味を持っていましたが、な かなか機会がありませんでした。それが2001年に中小企業診断士の資格を取って、その集まりの中で、港区田町の仏教伝道センターで、坐禅会をしていることを紹介されてから、通い始めて20年近くになります。

 最初は、公案を考えて、ハタと悟るといったことを期待していたのですが、それは臨済宗のようで、ここでは、曹洞宗の中野先生が指導をしています。曹洞宗は、道元の教えで、毎日の生活や修行の中で平凡な人でも、悟りに近づき、一度悟って終わりでは無く、常に新たに修行を続けると言うことで、返って私には合っているようです。

 先生は、生命倫理(臓器移植)や死の臨床に立合うことにも関心を持たれ、たびたび、癌の話が出てきます。その中で、「どんなことがあっても、『人生、良かった!』にしよう」というのが、先生の口癖です。通い出した頃、末期癌のつれあいがいたので、癌の話が出る度にぎくっとしたが、そのおかげで、心の準備をかなりできたと思います。
 連れ合いが亡くなった後も、先生の講話が生き死にに触れることが多くて、心の安定に役立ってきました。

 先生は教化研修部門の講師でもあり、著書も多数出版され、何を尋ねても、その場で答える学識に驚かれます。何よりも、講話は脱線と笑いが多く、ユーモアが好きな他に例を見ない先生だと思います。それにつられて、長く通っているようなものです。

 つれあいが亡くなった丁度1年後に、朝の通勤電車に幹事から、先生の奥さんが亡くなったと電話が入りました。お寺の名前と住所を教わると、勤め先の直ぐ近くでした。これは行かねばと思い、昼休みに総務から黒のネクタイを借りて訪問しました。すると丁度先生が廊下に座っておられて、(駅で突然亡くなられたので)警察から遺体をこちらへ安置したところで、葬儀は実は明日、とおっしゃいました。今日と思い込み、他人事とは思えず、駆けつけてしまいました。折に触れて先生が「自分に体験があるから共感できる」、「自分に悲しみがあるから、悲しみの人に寄り添い、わかる」と言われる、そのことを実感しました。

 一つ、うらやましかったのは、私のように葬儀屋探しはしなくても、安置する場所があると言うことでした。つれあいの死に際して私が一番辛かったのは、医者に危篤と言われてから、遠くからも身内が大勢集まった中で、一人離れて、葬儀社を探したときです。24時間、側に着いていたいのに、亡くなれば直ぐに病院から引き取らねばならず、病室から電話するわけにもいかず、二人とも地方から出てきて、何の伝手もなく、電話で何件も照会をしました。仕事の都合で亡くなったら葬式は早くやってくれという人もいて、まだ生きているのに、葬儀屋にいつできるかと尋ねて回るのは心塞ぐ思いでした。

 その後、折に触れて、先生が奥様のことを語るのは、心に響き、参考になりました。中でも、「供養には思いを引き継ぐことである」と話されたのが心に残っています。先生の奥さんは、海外の恵まれない子供の里親をしていたことを、その子供から手紙が来たのを見て知り、遺志を引き継いで里親になっているとの事です。
 それを聞いて、つれあいは、子供が大きくなったら老人福祉の仕事をしたいと思いながら、亡くなったことを思い出しました。私が定年直前に鍼灸の道へ進んだのは、つれあいの福祉の仕事への思いを引き継ぐのに役立つ技術であり、導きがあったのだと得心しました。

 つれあいが亡くなった翌年の異動で、お客さんが最も多い首都圏の担当となり、今までに輪をかけて忙しくなりました。長年かけて開発したシステムは、客先も含めて担当は入れ替わり、中身を知っている人も少ない中で、無理な改造を頼まれたりして、障害も多くて、責任者として、対応に追われました。そういう時に坐禅をすると頭ののぼせや力みがとれて気持ちも楽になりました。担当した3年間は、それ以前の30数年間分以上の謝罪をしたのではないかと思いますが、剣道と坐禅で乗り越えられたと思います。

 定年前に退職して、鍼灸の専門学校へ行き、鍼灸師になってからは、自由な時間が増えました。その中で、自由に流されずに心を見直すのに月2回の坐禅会は欠かせません。

 先生の講話の中で大事だと思うことをノートに取り、何冊にもなりました。中でも、心に響いているのは、講話の中で何度も繰り返し話される「如実知見」と「出来心が本心」と「縁起条件の調和」という言葉です。

 「人間は見たい物しか見ない。関心のあること、自分の立場から見る。その関心、立場を捨てて純粋にあるがままを見よう」、それが如実知見だと教わりました。
 あるがままに見よう、そう思うだけで見え方が変わってくる気がします。困った場面ほど、如実知見、如実知見と言い聞かせて現実を直視するようにしています。

 「生きているとは、一時も生を止めることが無い。自分は一時も止めること無く自分だ。だから、求めている自分と今の自分が違うと言うことは無い。『今の自分が自分で隠しようが無い』『丸出し』で生きている」、つい出来心でというのが本当の自分だと教わりました。
 目の前のことと別に何かあるのではないから、今のありのままを直視して、自分にも他人にも、『言い訳は要らない、聞かない』生き方を心がけるようにしています。

 「全ての存在は縁起条件の調和である。(1)条件は変化する、だから一定ではなく、無常。(2)存在は縁によって起こる、だから実態は無い、無我。(3)縁起条件の調和で存在する、だから損得は無い、無為」、だから存在はこだわりようが無い、空だと教わりました。
 困った時には、この縁起条件の調和だと思い聞かせて、自分であれこれ悩んでも仕方ない、病気は病気に任す、あるように生きるという勇気を得ています。

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