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坐禅
仏教にはいろんな宗派があるが、その特徴をそれぞれの宗派の若手論客が説明をしてくれる。
シリーズの第一回として、天台宗(最澄)の講演が4/22にあった。講師は円融寺住職の阿純章 先生であった。
最澄というと空海の敵役として知られている以外、門外漢にはよく知られていない。
実際は空海との仲は悪くなかったという。日本で最初の宗派として天台宗を立上げて、腐敗と俗化をしていた南都仏教に対して比叡山にこもり、修行に励んだ。そして、桓武天皇の信任を得て、南都仏教界を法華経と天台の教えでとりまとめたそうだ。

悉有仏性というのは禅宗だけで無く、天台宗でも重要な考えだと分かった。
そして、芋ばかり食べている横川の僧都として源氏物語に出てくる源信がその弟子筋にあたるらしい。今年は、源信の1000年遠忌として、その活動も知ることができた。日本人の地獄のイメージを原型づけた「往生要集」も彼の作である。
2016年6月4日
もろもろ
高校時代を熊本に過ごした身として、今回の震災は心が痛む。予想だにしていなかった、連続の震度7。未だに余震が続いている。
幸い、知人やその家族には人的被害は無かったが、建物が倒壊して、これからが大変だ。学校や寄宿舎や近くの商店街も被害を受けている。

寄宿舎というとよさげだが、受験戦争と言われた時代で、兵舎のようだった。毎朝、制服に着替えて廊下に整列して点呼があった。3月までは、丸坊主で学生服だった田舎者には、制服のネクタイを締めるのが一苦労だった。坊主頭もミッションスクールでは禁止だったが、髪が生えるまではお目こぼしがあった。3年間は長髪で過ごした。大学に入ると剣道を始めて短くして、今では髪の薄さも加わって丸坊主に戻っている。
同窓会から義捐金の案内があり、心ばかりの寄付をした。また、関西を中心に鍼灸ボランティアの呼びかけもあった。ベッドを空輸して、避難所の外にテントを張り治療して、現地の環境をディスターブしないようによく考えている。参加したかったが、5月の連休は京都大会で断念した。次の機会を待ちたい。
2016年6月4日
もろもろ
つれあいの13回忌を4/10に行った。
普通は身内だけでやるが、東京には少ないので、少し遠い親戚もできるだけ声をかけてきて頂いた。
仏事は、残った者たちが集まる機会を与えてくれる。娘の昨秋の結婚式に呼べなかった方にも来てもらい、お披露目をできた。


奄美からも義兄二人が来てくれて、賑やかにできた。夜は、上の義兄と二人で飲み明かした。その時に、もう独り身を通さなくても、アイツも許すと思うよ、自分もだよと何度も言われた。七回忌の時にも言われた気がする。先年、帰省した折にも、まだ存命の義母にも同じことを言われた。
しかし、生前から許していたと思う。家事のできない私を心配して、後添えのことをあれこれと語っていた。私の職場の部下(一人しか知らないが)をいいんじゃないかと。良い娘(女性)だが、仕事熱心で主婦(主夫?)が欲しいと言ってたくらいだから無理だよと言うと、自分の同級生で、やはり連れを無くしたのが気立てが良いとか。でも、子どもが居るから、お互いにうまく行かないか、…など。そこまで言われると返って情が残る。死んだ者は強い、良い思い出だけが記憶に残っていく。それでも、色気の無いのも寂しい、友達くらいなら良いだろう(募集!)。
私の翌年に奥様を亡くされた坐禅会の指導をされている老師が、どこかで、「先立たれても、あの世でまた一緒になれる。家内は待ってくれていると思います」と記事にしていた。お坊さんがそう考えるくらいだから、一般人の私もあの世で待っていると信じて良いのでは無いか。
忘れない内にとあまり早く逝っても怒られそうだ、残った子どもや孫の世話をきちんと看てから来いと。その為には、剣道をして、ITコンサルや鍼灸師として充実させて、後10年は元気におらねば(もう少し孫の成人式まで、…と煩悩は尽きない)。
2016年6月4日
武道
日野市民大会が、4/17に行われた。
最初に木刀の基本技の演武。市の代表として大会に出場しているだけあって、小学生も見事なできばえだった。

試合は小学3年生以下の部から、一般(高齢)まで、幅広くプログラムが組まれている。例年は、小学下級生の部は初めての試合でなかなか一本に決まらないものだが、今年は小さいときからやっているようで、レベルが高く、スムーズに試合が運んだ。できるだけ試合の機会を与えようと、個人戦の後に小中学生の団体戦も組まれた。
試合後の合同稽古は、東京剣道祭の反省を活かして、真剣に勝負を争う稽古をした。おかげで、疲れて、翌朝は朝寝坊をした、…。それも心地よい。
2016年6月4日
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