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東邦大学 情報処理試験の免除講座

IT

今日、情報処理試験の基本技術者の免除講座なるものの前期集中講義を終えた。
これは、半期15回分を三日間の集中講義でやってしまうという、実に学生にも講師にも過酷なものだ。
普段無口な方なので、毎日5時間、三日もしゃべると、喉が痛い。立ちっぱなしもつらい。
家に戻り、ほっと一息。丁度、お客さんに頂いた”山崎”があるので、こいつをグビッとやると、酷使した喉にしみる。ウィスキーは、普段あまり飲まないが、今日は特別だ。
201508東邦大萼集中講義
いろいろ、大変だった。

以前から、情報産業論という講座を担当していて、これは、30数年の情報産業界の経験を元に、後進に蘊蓄を語るようなもので、かなり自由なカリキュラムだ。その延長で昨年新しく開いた当講座を気軽に引き受けたが、…。範囲が非常に広い。そして、学生には後から国家試験があり、テキストとなる教科書がありで、自由にはできない。準備に苦労した。しかし、パワポで15回分を作ったので、今年はこれを使い回して、楽勝! と思っていたのだが,…。

ところが、今年は教科書が変わります、と担当教授に言われて、深く考えずに、そうですかといった。渡された新しい教科書を見ると、構成が前回と違う。内容もずいぶん違う。それもそのはず。一日目はソフトウェア開発作業に対するプロジェクトマネジメントの分野だ。それが、プロジェクトマネジメントの国際標準 ISO 21500 を中心に記述されている。国家試験なので、デファクトのPMBOKよりも、ISO、JISが優先される。昨年の教科書は、PMBOK 第4版中心であったので、抜けていたステークフォルダ-マネジメントについては、自作の資料を配ったりした。知っていることなんだが、ワーディングが微妙に違う。それで、今回はISOとPMBOK 第5版とを勉強しなおして、資料を更新した。内容的には、経験も知識もあるんだが、言葉遣いが違うんですよね、微妙に、…。

二日目は、運用、これもデファクトスタンダードのITILベースに中身は記述されるのだが、…。今年の教科書は、ISO/IEC20000 中心になっている。昨年の教科書はITIL V2(バージョン2)だったのに。また、世の中は、このV2を適用しているところが多いというのに。しかし、ITILも ISOに対応して、バージョン3が出ている。これは構成ががらっと変わって、ノウハウの幹となるところは変わらないのに、ライフサイクル全体をカバーするというので、戦略、設計というプロセスもカバーしている。世の中のいろんな標準が、自分の世界、土俵を広げて、重なり合ってきた。それは良いのだが、違うことを主張しているわけでは無いので、…。でも、微妙に言葉が違うのですよね。運用も、新しく、バージョン3を学びなおし、資料も作り直した。

三日目は、初めの二日間と違い、企業活動編で、企業経営、組織、財務会計という内容で、そうそう変わりようがないとタカをくくっていた。そしたら、何気なく入っている、OR・IEの章に、応用数学として、確率、順列、統計、グラフ理論が紛れ込んでいる。昨年は、テクノロジー系として大学の先生が教えた教科書に入っていた。今年の教科書は何を考えたのか、ストラテジー系の章に紛れ込ませている。担当教授から、教科書に沿ってやってくださいと言われて、簡単に承知したのだが、…。基本技術者試験だから、内容は深くは無いのだが、…。しかし、あまりにも間口が広い。ソフトウェア開発、運用の実践では、待ち行列理論など実際に使う事はほとんど無い。しょうが無いので、これも、おさらいをして、パワポを作った。

そんなこんなで、二年目と甘く考えていた準備にかなりの労力を費やして、一昨日からの三日間の講義に臨んだ。この講義は70名近い学生が受講して、後で、国家試験を受けるので、まじめに聞いているので、やりがいはある。

しかし、ハプニングが。
二日目の運用マネジメントの講義中に持参していたノートパソコンが固まって動かなくなってしまった。電源ランプが赤に!
 なんで、?コンセントからとっているのにバッテリーが上がるはずは無い。コンセントが机上に出ているが、根っこは分からない。ほかのタップを探してつないでみても、だめ。いつもフォローをしてくれている教授はこの日に限って休み。あちこち探し回って、電源コードを拾ってきて、壁のコンセントからつないで、どうだ、…。やはりだめ。ノートPCの方が怪しい。講義内容は、パワーポイントでまとめてあって、これは画面無しで、漫談調にしゃべっても通じない。学生から、PCを借りる、…、訳にもいかない。
 教務室まで走って、(暑かった)、ノートPCを借りて、プロジェクタにつなぎ、…動いた。こういうときのために、USBメモリにコピーして持参していたので、事なきを得て、講義を進めることができた。丁度、講義では、運用におけるリスクマネジメント、事業継続の話をしていたところなので、このようにバックアップを取っておいて、システムを切り替えて継続するんだと、したり顔にしゃべった。内心は汗、汗、…だった。

少年少女剣道大会の審判で左目を負傷

武道

7月25日、26日と日本武道館で、全日本少年少女武道錬成大会(剣道)が行われ、審判をした。両日とも、2000人以上の参加者があり、全国から集まった小学生がはちまき姿で入場行進をする。30分近く、拍手の中、粛々と進む(この間、審判として拍手をし続けるのは辛いところ)。

特徴は基本技の試合、選手二人がそれぞれの監督に切返しと打ち込みを行い、優劣を判定する。明らかな差があれば、審判3人がそろうが、技量が近いと旗が別れて難しい。切返しなどリズムよく速く打っているが、竹刀が横や下から出てくる選手もいる。打ち込みはしっかりとしているので、指導者の考え方次第だろう。私は、ここを大きなポイントに置いたが、そうでない審判もいた。
また、試合はうまいと思えるような鋭い打ちだが、左手元の上がりが少ない選手(チーム)もあった。基本技は、手元を上げて大きく打つ方がポイントが高い。これはどの審判も共通であったと思う。

さしも広い日本武道館も16試合場に分けて行うので、非常に狭い。隣りとラインは共用であり、十分な距離を持って選手を見ることができない。そんな中で、昨日、試合場の決勝の審判をしている時に、左目を負傷してしまった。ラインぎりぎりのところで、立っている時に、鍔ぜりから引き面を打った選手が竹刀を大きく後ろまで振りかぶって、跳び下がってきた。あっと思う間もなく、後ろへ振りかぶった竹刀の先が私の左目を直撃した。顔の骨に当たれば、痛いが大事には至らなかったと思うが、目の周りの骨には当たらず、先皮が丁度眼球に当たった。

20150726審判中左目負傷

救急外来でチェックすると、左方向が二重に見える。念のためにCTを撮ったが異常は無かった。目に異物感があるので医師に尋ねると、皮一枚破れているという。角膜上皮が破れたのだろう。薬を何種類かもらって付けているが、段々と腫れてきて、見えないし、目に何か刺さった感があり、重苦しい。
剣道の事故では、見聞きしたことの無いことだ。起きてみれば、起きる可能性のある事故だ。審判は、特にどう動くか予測のつきにくい若年層の試合では、距離を十分にとって行う必要がある。

※今年に入って2回の救急外来。しかも、左目。しかも、CTをとるレベル。幸い大事には至らないで済みそうだが、気をつけないと。生まれて初めて受けた占いの先生が言ったように今年は危ない年のようだ。

※大学の集中講義を非常勤でやっているのだが、教科書も変わったので、講義準備をねじ巻きしようと思った時に目に負傷で、大変だ。8月後半なので、なんとか間に合わせられると思うが、…。もう近づいてきた。コンピュータ屋にはなじみの警句集、マカフィーの法則に「起きる可能性のあることは、必ず起きる、しかも、最悪のタイミングで起きる」というのがある。障害で何度か体験した(;_;)。今度も、…、まあ最悪とまでは言えないが、間が悪いということ。

※4回ほど外来で通って、腫れた眼も引いて、破れた角膜上皮も回復してきたというので、終了になった。しかし、墓参りに、長時間運転をしたら疲れる。自重せねば。

クリスマスプレゼント?…奄美群島復帰

奄美

日本が第二次大戦で敗戦となり、沖縄が長く米国の信託統治下にあったことは、皆さんご存じだと思います。奄美大島も同時に米国の統治する所となったのをご存じの方は少ないのでは,…。今日(2013/12/24)のNHKニュースウオッチ9で取り上げていましたが。日本に返還されたのは、1953年12月25日です。

このとき、朝鮮戦争終結交渉の帰途日本に立ち寄ったダレス国務長官は「少し早いクリスマスプレゼント」と称したそうです。釈然としないところもありますが、熱心な復帰運動を行った先輩達により、早期の復帰が可能となった由、聞いています。

奄美群島は、奄美大島本島以外に、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島の5つからなっています。それで群島と呼ばれました。

母から聞いた話では、戦争末期には、地上戦こそ無かったが、空襲だけではなく、軍艦からの艦砲射撃もあり、畑にいて山の中を逃げまわったこともあると言います。危うく戦場となるところでした。米軍の発行したB円というのを子どもの時に見た記憶があります。

 
奄美復帰60周年 文化芸能祭
今年は、その復帰60周年という事で、あちこちで祝賀会がありました。東京でも、10月6日(日)に渋谷公会堂で記念式典と文化芸能祭が催されました。芸能の島らしく、日本民謡日本一になった何人もの唄者による島唄や踊り、それに若手の島唄やニューミュージックも興味深いものでした。何と言っても、三沢あけみによる「島のブルース」を生で聞けたのが良かったです。彼女は、奄美が第二の故郷というように、この歌で歌謡界で不動の地位を築き、長く歌い継いでいます。三味線、島唄とフルートの共演も幻想的ですばらしかった。

南無の会坐禅会 テキストが「生死」から、「禅の料理と食事の心」へ

坐禅

坐禅の後に中野先生が解説を行う正法眼蔵のテキストが変わります。
少し重いテーマであった「生死」から、「禅の料理と食事の心」になります。

道元が中国へ渡ってまだ船に滞在している間に、最初に中国仏教の神髄に触れた料理責任者の老僧とのエピソードが活かされた典座教訓を初めとして、具体的な話でわかりやすい内容です。
また、事細かに説かれた料理係の心得は、食事を供することが自己中から、利他行、悟りへの道につながっていることも分かってきます。

それに、中野先生が永平寺で修行していた小僧の頃の食事係の話を伺えるのも興味あるところです。

 20150227正法眼蔵テキスト表紙 善の料理と食事の心

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