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IT もろもろ 鍼灸
皇居ラン三たび 東京都中小企業診断士協会主催 第4回 WALK & RUN フェスタ
三度目の皇居ランに挑戦しました。そもそものきっかけは、このイベントへの申込から始まった。
先日のランで、完走できる目処はついていたが、当日、組み分けを聞くと走るか歩くかではなく、なんと、2周する早い組と遅い組、1周だけの組とウォーキングの4組に分かれるという。遅い組が1周32分とか、…、あの私は50分なのですが、…。
ウォーキングがよいかどうしようかと実行委員に聞いてみました。全く相手にされないと思いきや、2周するのですか?と聞かれて、とんでもない、1周だけですが、足切りとあるのですか?というと、全体で1時間あるから、その間に帰ってくればよいとのこと。それなら、ウォーキングよりも走った方がよい。
実行委員が先導をして走り出す。1週組は皆遅いようなことを言っていたが、結構快調なペースで走る。私も必死について行く。途中で写真を撮ったり、休みたいが、一度止まると、追いつける気がしないので、ひたすら走る。
雨の予報は外れて、薄日もさしてきて、暑い。手ぬぐいで顔を拭いつつ、完走。40分を切った。威張れる数字ではないが、大勢で走れば結構行けるもんだ。
シャワーを浴びて、懇親会。こっちが本番(みんなも同意見)。ほぼ全員、30人以上が乾杯をした。20秒スピーチ。皆さん診断士なので、手際よく自己紹介をする。私は、ITコンサルをできる鍼灸師としてユニークさで結構受けました。3時間の歓談もあっという間に過ぎて、楽しい一日であった。
診断士の中に、マラソン同好会があって、フルマラソンや100kmマラソンに出場したという強者もいる。日頃剣道や太極拳をやっているが、足が遅いというのはそれほど気にしていなかった。しかし、足の力は、全ての運動の基本だから、走り込みをした方がいいと思い直した。
次の日も膝の痛みはなく快調、ただ筋肉痛と二日酔いが残った。
2013年11月13日
もろもろ 鍼灸
皇居ラン再び(1)-膝の痛み無し、でも遅い!
皇居ランに再挑戦した。
今度は、神保町のサクラカフェというランステを使った。
ここは実態はバックパッカーなどが利用する割安のサクラホテルだ。各階に共同の洗面所とシャワー室がある。そのシャワー室が着替えとランニング後のシャワーに使える。荷物はフロントで預ける。
アディダスのランステと比べると、走ることに専門化したトレーニングなどはないが、ふだん空いている設備を有効利用する形で料金が安くなっている。朝のモーニングもカフェで取れるので、事業的には上手く設計されている。
今回は、迷子にならないように(^_^)、昼間に走った。順調に1周したが、抜かれるだけで抜けない。最後にやっと一人を抜いた、結構気持ちよいものだ。それでも、直ぐに終点だったから良かったが、もっと走っていたら抜き返されたかも。結局、50分かかった。普通、初心者でも、30~35分らしい。友人には、歩いたの?と言われたが、全部走りました。この調子では、来週、東京都中小企業診断士協会主催の「第4回WALK&RUNフェスタ2013」には、ランではなくウォークの方に変更した方がよいかも知れない、…。


今回の成果は、時間よりも膝の痛みが出なかったこと。走り方も気をつけたが、再発をしなかったということに安心した。鍼灸の効果を再認識できた。お灸の後も写真のように随分と薄くなった。

皇居ラン再び(2)-シャワーを浴びて、海老天丼
シャワーを浴びて、良い気分で外に出ると、ちょうど古本祭りをしていた。今日は、小銭入れに1万円札1枚つっ込んだだけなので、そうそう高い買い物もできないが、ぶらぶらと見るには良いだろう。その前に腹ごしらえ。この辺に来るといつも利用するエビの天ぷらが安くて美味しい店で、先に自動販売機でチケットを購入する。
…、財布がない!! 上着のポケット、ルックザックをひっくり返して中の荷物を全部出してみたが無い。先のランステでは、預かった荷物を名前を聞いただけで、隣の部屋へ放り込んでいたが、「抜かれたか?}、いやいや、財布はルックザックに入れてしょって走った、…。いろいろ考えたが、シャワー室で落とした可能性が高い。嫌な気持ちで、サクラカフェへ戻って、財布を落としたらしいからシャワー室を調べさせて欲しいと言ったら、どうぞと。シャワー室へ行きかけたら、どんな財布と尋ねてくる。かくかくしかじかというと、これですかと出してきた。それだ!早く言ってくれと思ったが、先方としてはどのシャワー室へ行くかを確認してから話したのだろう。よく戻ってきた、気持ちが晴れ晴れとした。現金なものである。
お店は神保町というより、九段下に近く、古くから京都産の竹刀を扱っている武道具店「陽明堂」の隣だ。写真のように、小振りだがエビがてんこ盛りになっている。さらに、ご飯の下にもエビがいくつも隠れている。腹一杯になって、古本祭りへ。

皇居ラン再び(3)-神保町古本祭り
さすが神保町、歩道も含めて店の先もずらりと本が何十軒と並ぶ。
道路前の箱に積まれている中に、神谷美恵子のエッセーがあった。彼女は、精神科医で、最近世界遺産に登録しようという報道もされた瀬戸内海のハンセン病患者を隔離した施設で、キリスト教徒的人道的な仕事をした。そのことを書いた「生きがいについて」を若い頃に読んで感動した記憶がよみがえって、つい買ってしまった。他には、鍼灸師として「気」に関する本や、京大式カードでお世話になった梅棹忠夫が若い頃に東南アジアの人類学調査をした本、仏像や街道の写真本を買って帰った。写真集は重い。


エッセーは、彼女の人柄のよく分かる文章で、さっと読んでしまうのが惜しい。少しづつ読みたい。いくつか内容を紹介すると、
(1)(最初が、小学生時分に外交官の父と共にスイスへ行き、ジャン・ジャック・ルソー研究所、当時はジャン・ピアジェが所長という研究所付属の小学校に転入した。)
小学生25人が一部屋で、一人一人に違う授業であり、絵とフランス語のカルタを与えられて、最初は何も教えられず、自分でめくって適当に発音を思いめぐらしているだけ。本当の発音を知りたくてじりじりしてくる。その頃に、先生が回ってきて教えてくださる。その喜び。万事がこんな風だった。
…
想像力は創造力に通じるだけでなく、自発的な好奇心とか他人の心への思いやりの基盤ともなり、さらには、人間を超えるものについての感覚-敬虔と畏れ-と培うものであろう。
…
ある時、白系ロシア人の痩せた、いつも寒そうにしている少年が私の隣のベンチに腰掛けて、私のおやつの水蜜桃をしげしげと眺めていた。やがて、僕にその皮を下さいという。実の方がおいしいんじゃない、実をあげましょうと言ったが。いや、僕は皮の方が好きなんだ、と断固と言われた。彼は皮を美味しそうに食べた。でもやっぱり実の方が好きだったのではないか、このことは後まで心にしこりを残した。それ以来、貧富の差とか人の自尊心など、それまで考えてもみなった事柄が心に大きな場所を締めるようになった。
#この発想が、後世ハンセン病棟で働くきっかけにもなったのだろう。相手に負担にならないように、人に助けを施すというのは難しいものだ。だから、逆にインドなどでは、富者が行う布施に対して贖罪の機会を与えてやったと、貧者の方が大いばりで布施を受け取ることもあるという。
(2)(育児日記から、戦後直ぐのものがない時期に早産の長男を抱えて苦闘しつつ、研究者の観点も含めて丁寧な日記を書いていたという。)
何から何まで近所の奥様の親身のお世話にすがってどうにかその場をしのいだものの、果たしてこの小さな皺だらけの赤ん坊が無事に育つものか。
…
傍らには身内も手伝いも誰もいない、ただ初めて親になった主人と私だけ。私は全てをなげうって、全力を尽くして、この月足らずの子の生命を守ろうと必死の覚悟を決めた。
…
乏しい中でも、子供は日に日に成長していく。そのめざましい跡を日記の中でたどっていくのは大きな楽しみであり、励ましであった。
…
(次男の日記も含めて)、今にこの二人が成人して親の手を離れていくとき、この日記は母からのよい贈り物となるであろう。たとえそれがどんなに不備なものであってもいい、そこには母とみどり児との間に営まれた日々の生活の人知れぬ悦びと感謝の思いがどのページにも染み渡っている。
#言葉づかいの一つ一つに、著者の人となり、心映えが現れている。
2013年11月7日
もろもろ
イギリスの福祉を『ゆりかごから墓場まで』というが、…。
私は、生まれる前の『不妊治療』から始まり、産まれたら小児はりで0歳児から、大人になり、死ぬまで鍼と経営・ITコンサルテーションで手助けします、さらに死んでも坐禅会の知り合いのお坊さんやミッションスクールの同級生だったイエズズ教会の神父さんに葬式を上げてもらえます。
つまり、イギリスの一つ上をゆく「究極のワンストップサービス」によるお手伝いをみなさんに提供できます。
不妊治療の前のカップルを作る方法もコーチングや美容鍼を使って致します。
(これは、只今独身の私にも誰か教えてほしい、只今、恋人募集中です、…。冗談です、私にはかわいい恋人が二人もいます。まだ、5歳と2歳ですが)
※これはショートショートジョークです(冗談交じりの本当)
2013年10月29日
坐禅
ナムの会坐禅会で、坐禅の後の講話テキストが、自証三昧が終わり、般若心経に変わりました。
自証三昧は、感動もあるがやや難解なところもあった。般若心経は親しみやすいので、興味ある方はどなたでも参加できます。南無の会「坐禅会」案内をご覧下さい。
般若心経は、おそらく一番有名なお経でご存じの方も多いでしょう。このお経が、有名な孫悟空に登場するお坊さんがインドのサンスクリット語(梵語)から中国語に翻訳したものであることを知っている人は多くないかもしれません。
孫悟空の物語り自身がこのお坊さんが中国からインドへ行って来たときの実体験、旅行記(世界三大旅行記と言われる『大唐西域記』…皇帝太宗に提出した)が元になっているのです。お坊さんの名は三蔵法師になっていると思うが、三蔵は三大経典、法師はお坊さん、今風に言えば翻訳家の一般名称です。本当の名前は、玄奘と言います。
この方は唐の時代の人で、インドで沢山の経典が新しく編纂されて中国へ入ってくる。その新しい情報とそれまでの翻訳に飽きたらず、自分でインドへ行こうと考えて実行した時の体験談です。唐が成立したばかりの頃で、鎖国状態であり、禁を破って密出国をして、途中で山賊に捕まってウルムチあたりで幽閉されたりした。現地民に助けられて、天山山脈から、パミール高原を越えてインドへたどり着きました。
現地の人にも玄奘は人気であり、そこの神であった猿が孫悟空として登場するというような、般若心経そのものの入口についても、豊富な知識を中野先生から聞くことができる。
なお、2007年には、玄奘の足跡をたどって、西安からウルムチ、天山南路、パミール高原、和田にいたり、タクラマカン砂漠を縦断する旅行を中野先生を先達に行った。私も、ちょうど会社を退職する直前で、卒業旅行のつもりで参加した。天山南路は荒涼たるはげ山と砂漠の間を列車で24時間も移動し、タクラマカン砂漠は、さらさらの細かい砂で西遊記の妖怪が出てもおかしくない雰囲気だった。この旅行記はいずれ、じっくりと紹介します。



自証とは、三昧(真実、悟り、仏のいのち)を自分で確かめ、証明すること。自分に引き当てて理解し、その喜びを語る。そして、信じたことを日常のあらゆるところで、日常の中でこれが仏法の教えと語るのではなく行動で示す。生きている姿で語る。
先生や釈迦から学ぶ。先徳にあこがれる。同時に、確かめるのは私たちめいめいで、私のスピリチュアリティ(私の真実)に従う。この両方が必要なことを説くのが自証三昧。
※三昧…静寂、不染汚、落ち着きの世界。これはサバーディというインドの言葉を音訳。
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(付録)中野先生による自証三昧の講話から(覚え聞き書き)
「あの世って、何?」…ようやく、こういう問題を正面から、日本の医療も取り上げることができるようになった。癌患者が「あの世って?」と言える。言い出せることが大事だ。以前は癌になると、それだけでパニック状態だった。
ファンデンベルク「癌患者を見舞うときには、予め言葉を用意するのでなく、会ったときに顔を見て感じたことを言いなさい。そこへ行って、そこにふさわしい感じたままの言葉を言うのがよい」
斉藤牧師(アメリカでチャプレンとして最初に亡くなった人に立会ったときに)「眠っているみたいですね」といったら、周囲がしらーっとした空気になった。その後は言葉が出なく、小一時間黙って未亡人の肩に手をおいていた。納骨の時にも呼ばれて、神の代理人として立ち会ってくれたと感謝された。それで、安心した、相手が受け取ってくれる。そこに居てくれる、決まり切った言葉で言ってくれるだけで、そのことに対して相手が穴埋めをして聞き取ってくれる。表現がつたなくても、相手がこちらの真実を引き継いでくれる。
#先生は死の臨床についても研究をしているので、こういう話題がちょくちょく出てくる。
人のためというのは関係性の中から産まれる。生まれつきじゃない。生まれながらの賢い人も、師、人に会わないと分からない。医者も病人に会わないと分からない。人間として深まらない。
利他行というのは理屈じゃなく、体験があって分かる。人の痛みに共感するのは自分の体験を元にできる。経験豊富、回り道をしている人ほど、人の気持ちを詮索、共感することができる。リーダになれる。
悟りは自覚だから、師からは学べないというのは考えが浅い、独りよがりになる。自分の経験した事で証明するというのは努力主義であり、自分よがりの小さな狭い悟りになる。人(師)から学ぶと、柔らかくなる。師が必要。
#大乗仏教は努力主義ではない。不染汚(汚れる以前)の自分を信じること。それを坐禅で確認する。
今に生きれば、いつでも死ねる。それがキリスト教や仏教じゃないか。仏の目線に戻ろう。今の日本の仏教は自分流解釈だから弱い。キリスト教やイスラム教はいつもキリストやアラー(神)につながるから強い。道元はそこを言っている、自分じゃなく、師につき、仏のいのちに気づきなさいと。
2013年10月29日
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