もろもろ
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6月になってしまったが、5月の記事をアップ(くたびれておりました)。
5月の連休は、例年通り、京都へ剣道の演武大会へ参加。
その前に、鍼灸学校の同級生のFBに触発されて、急遽、5/1に
伊勢神宮へ初のお参りをしてきた。
連休中であり、大勢の観光客が来ていたが、大木が空にそびえ、広い境内を覆っている。その為に、静寂を保ち、厳かな雰囲気。
伊勢市駅から、先ずは外宮へ。高い木々の間を通り抜け、正宮へ。中はカメラ禁止、白石を敷き詰め、神の通り道が色違いに横切る。白い布があり、中には何かありそうながら、見えない、そこが畏れ賢みを。戻るところに、なにやらパワースポットらしい石に皆が手を出して氣を感じているよう。
別宮(下御井神社、多賀宮、風宮)を参拝して引き返す。入口脇にある遷宮館をちらりと見て、内宮行きのバスに乗る。




内宮手前でバスを降りる。名物伊勢うどんが、…、12:00までは安いにつられて食べてみる(ぼそっとしてイマイチ)。内宮へ宇治橋を渡る。青空の下にみどりの山々、五十鈴川の清流と、心が洗われる。川で清めて、奥の正宮へ。そこまでに、神楽殿や大木。水を吸い上げる音が聞こえると何人も木に耳を当てている(私もやったが聞こえず…後日の健診で右耳の聴力が落ちていると)。正宮から、荒祭宮に参り、御厩(白馬、神馬は姿を見せず…葵ちゃんは運が良かったね)。池には金色の大きな鯉。


お参り後は、おはらい町を冷やかす。入って直ぐに赤福本店、小豆あんこたっぷりの美味しそうな。日持ちがしないので、今日行く大阪の従姉妹と明日からホテルで落ち合う剣道仲間分の二つのみ求める。郵便局やコンビニも周りの雰囲気に溶け込んでいる。途中にあるおかげ横丁も見逃せない。露地に入ると太鼓の音がする。しばし、鑑賞して、隣りでやっていた似顔絵屋さんに描いてもらう(結構若く、髪も増やして頂いたような)。

すっかり堪能して帰路につく。しかし、バスが来ない。

いろいろ誤算があり、遅くに京都へ着き、暑い中を小走りでホテルにチェックイン。直ぐに出て、大阪の従姉妹の所へ。久しぶりに京阪電車に乗る。相変わらず、枚パーの車内広告は岡田が頑張っている。京橋へ着いて、従姉妹の家へ行き、腰痛に鍼をしてあげる。その後、京橋駅で一緒に一杯やって、深夜に京都へ戻る。これが七夕ならぬ、5月の1年1回の逢瀬。初日から、いきなりくたびれたが充実した連休の始まり。
誤算がたくさんの初日であった。
誤算1…急に思い立ったので、すでに取ってあった京都行きの夜行バスから変更ならず、京都で荷物をコインロッカーに預けて、近鉄線で伊勢市駅へ向かう。普通なら、名古屋から入るはずだが遠回り。
誤算2…昨年は防具と一緒に竹刀も宅急便で送ったが、防具と着替えの入った大きなバッグと竹刀2本入った竹刀袋が同じ値段なので、けちって竹刀は持参した。所が、駅のコインロッカーには竹刀の長さが納まらず、手持ちで、望遠と広角のカメラ二台と手のふさがる旅に。
誤算3…帰りは宇治山田駅にバスで行き、京都へもどってチェックインの予定が、バスが待てど暮らせど来ない。しびれを切らしてタクシーに乗ったら、予定に間に合わない、運転手が直ぐ後に大阪行きがあるから大和八木で乗り換えたら良いというので、そのまま駅まで。駅に行くとそんな電車は無く、結局、1時間待ち。それなら、バスをじっと待っていても良かった。
2016年6月4日
もろもろ
高校時代を熊本に過ごした身として、今回の震災は心が痛む。予想だにしていなかった、連続の震度7。未だに余震が続いている。
幸い、知人やその家族には人的被害は無かったが、建物が倒壊して、これからが大変だ。学校や寄宿舎や近くの商店街も被害を受けている。

寄宿舎というとよさげだが、受験戦争と言われた時代で、兵舎のようだった。毎朝、制服に着替えて廊下に整列して点呼があった。3月までは、丸坊主で学生服だった田舎者には、制服のネクタイを締めるのが一苦労だった。坊主頭もミッションスクールでは禁止だったが、髪が生えるまではお目こぼしがあった。3年間は長髪で過ごした。大学に入ると剣道を始めて短くして、今では髪の薄さも加わって丸坊主に戻っている。
同窓会から義捐金の案内があり、心ばかりの寄付をした。また、関西を中心に鍼灸ボランティアの呼びかけもあった。ベッドを空輸して、避難所の外にテントを張り治療して、現地の環境をディスターブしないようによく考えている。参加したかったが、5月の連休は京都大会で断念した。次の機会を待ちたい。
2016年6月4日
もろもろ
つれあいの13回忌を4/10に行った。
普通は身内だけでやるが、東京には少ないので、少し遠い親戚もできるだけ声をかけてきて頂いた。
仏事は、残った者たちが集まる機会を与えてくれる。娘の昨秋の結婚式に呼べなかった方にも来てもらい、お披露目をできた。


奄美からも義兄二人が来てくれて、賑やかにできた。夜は、上の義兄と二人で飲み明かした。その時に、もう独り身を通さなくても、アイツも許すと思うよ、自分もだよと何度も言われた。七回忌の時にも言われた気がする。先年、帰省した折にも、まだ存命の義母にも同じことを言われた。
しかし、生前から許していたと思う。家事のできない私を心配して、後添えのことをあれこれと語っていた。私の職場の部下(一人しか知らないが)をいいんじゃないかと。良い娘(女性)だが、仕事熱心で主婦(主夫?)が欲しいと言ってたくらいだから無理だよと言うと、自分の同級生で、やはり連れを無くしたのが気立てが良いとか。でも、子どもが居るから、お互いにうまく行かないか、…など。そこまで言われると返って情が残る。死んだ者は強い、良い思い出だけが記憶に残っていく。それでも、色気の無いのも寂しい、友達くらいなら良いだろう(募集!)。
私の翌年に奥様を亡くされた坐禅会の指導をされている老師が、どこかで、「先立たれても、あの世でまた一緒になれる。家内は待ってくれていると思います」と記事にしていた。お坊さんがそう考えるくらいだから、一般人の私もあの世で待っていると信じて良いのでは無いか。
忘れない内にとあまり早く逝っても怒られそうだ、残った子どもや孫の世話をきちんと看てから来いと。その為には、剣道をして、ITコンサルや鍼灸師として充実させて、後10年は元気におらねば(もう少し孫の成人式まで、…と煩悩は尽きない)。
2016年6月4日
もろもろ 鍼灸
アメリカ・ボストンで行われたフィギュアスケートの世界選手権で羽生選手が優勝を逃した。
ショートプログラムでは、一位だった。自身が持つ世界最高得点に近い好演技で、ガッツポーズ。
しかし、フリーでは思わぬミスをして二位に終わった。
試合演技前の練習で、どこかの国の選手がぶつかってきて、予定していたトリプルアクセルの練習ができなかったようだ。世界最高得点の更新を狙い、4回転サルコウを2回入れてさらに高難度にして、精密に組み立ててきた。その最後の仕上げができなかった。
相手の選手に怒ったが、「良くあること」と言って謝らなかった。それで興奮して、直後のジャンプ練習で転倒すると激しく壁を叩いた。
普段は大げさに喜びを表さない羽生選手がショートでガッツポーズをしたのも、『どうだ』という感情の爆発らしい。それが、尾を引いてフリーの失敗につながったという。
相手選手には日本から多くの非難メッセージが届いて、炎上状態だという。
謝罪した相手に対して、被害者側が「良くあることだから」と慰めることはあっても、加害者側が言う言葉で無いと、日本人なら思うだろう。
しかし、世界的には謝らない文化の国が多いという。こういうときに、どうして怒りを処理したら良いのだろうか。それには、二段階の対応プロセスがある。
(1)怒りはきちんと相手にぶつける
怒りは表現しないで押さえ込むと、自分自身を攻撃する。鍼灸院に来る患者さんでも、まじめで控えめな人が怒りをため込んで自分自身の身体やメンタルに不調を来している方が多い。その時は、ちゃんと相手にはき出しなさい、怒りをぶつけなさいと助言をしている。
羽生選手もクレームを付けたようだが、足りなかったかのも知れない。十分、発散が必要だ。
(2)相手をこちらの思うように動かそうとしない
相手に謝罪させようとしても、しないかも知れない。相手の発言や行動が自分の思うとおりにならなくても、それに対してまた怒りを持つことは辞める。
米国に渡り、大リーグで活躍した(している)松井選手やイチロー選手が、心ないマスコミの批判やライバル選手について、どう思うか聞かれて、「気にしません」と答えている。『相手の言動はコントロールできない、コントロールできない問題は自分の問題じゃない』という智慧、割り切り。
きちんと(1)で怒りを表現したら、相手の問題(言動)を自分の問題にしない。これが怒りを手放す方法だ。
羽生選手は、若いが賢い選手なので、同じ失敗はしないであろう。リスクマネジメントに、練習中の衝突のインシデントだけでなく、その後の相手の日本では非常識な反応・その対策もリストに入れることだろう。
否応なく、グローバル化が進んだ世界で我々は生きているので、価値観の多様化にうまく対処していかないといけない。日本とて一つでは無い。それでも、日本に生まれ、気配りのある日本に住む幸せを感じる。
2016年4月13日
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