奄美
奄美 鍼灸
今回の帰省は鍼三昧だった。
夕方、奄美空港について、迎えに着てくれた姪の車で、先ずは実家に荷物を置いて、そのまま、弟1の見舞いに行った。久しぶりの再会に顔がほころんだ。ほとんど寝たきりで、ウェルニッケマン肢位になっている。肩や肘の関節が拘縮していて、鍼をして動かそうとしたが、痛がってほとんど動かせない。指圧をして、そーっと動かすことが精一杯だった。いつも見舞っている妹から腰や肩がかちかちに凝っていると言われたので、腰に鍼をした後、座らせて肩に鍼をして、妹の家へ引き上げる。それから、毎日、通って鍼をした。
もう一人の妹が夕食を作って、家族と一緒に持ってきたので、二家族とそろって卓を囲む。皆が首肩が凝る、坐骨神経痛などと言って、鍼を所望する。それで、お酒はほどほどにして、一休みして、みんなに鍼をして、ここで泊まることにした。すると、実家の弟2から、肩が痛くて待っているんだけど、どうなったという電話。かくかくしかじかの状況で、明日、もう一度、弟1を見舞った後で行くよと言うことで了承を貰う。
首肩凝りが多い、それには得意の運動鍼で、みんなが軽くなったと喜んでくれた。姪っ子には、オマケで顔に美容鍼もしてあげたら、顔が引き締まった感じだという。後で会ったら、新化粧品のモデルになった時以来のプリプリ感があると大喜び、妹1も久々に朝までぐっすり寝れたという。

次の日は、妹2とまた見舞いに行き、昼食の介助と鍼をしてから、実家へ送って貰う。早速、近くに住む義母へ挨拶に行く。再会を喜ぶと同時に、肩が痛くて、足が痛くてとの言葉に、じゃ鍼をしましょうということになった。足はかなりむくんでいて大変そう、肩もだが、腰も硬くて実は辛いだろうと鍼をした。終わって、肩は随分楽だと言ってもらえた。実家へ戻ると、弟2が仕事を終えて帰っていたので、夕食前に鍼をしようと言うことになる。
右肩が痛くて上に上がらないという。(左右逆だが)長崎の原爆平和祈念像のように、左手は真っ直ぐ上に上がるが、右手は水平までしか挙がらない。ちょっと手を添えると、痛い痛いと叫ぶ。これは頑固、運動鍼をするも、一度では可動域はあまり変わらない。右足の踵も痛くて引きずるという、見ると腓腹筋(ふくらはぎ)がガチガチに硬くて、その所為でアキレス腱が踵骨を引っ張り痛みを来している。ここへも鍼をたっぷりやって運動鍼を行った。翌朝は、少し軽くなったという。それからは、毎朝、7:00になると、「兄貴、鍼!」と言われて、朝飯前に鍼をすることになった。
三日目ぐらいから、かなり右腕が上がるようになった。右足も歩きやすいという。五日目ぐらいになったら、右腕がほとんど真上まで上がってびっくりしていた、楽になったという。台風のおかげで二日伸びて、七日目には、耳につくまで上がるようになった。右足も他から見て左足と変わりないくらいになった。

義母の方も、三日目には肩は随分楽になったが、腰が痛いと言い出した。案の定そうきたかと思いつつ、硬いので、前から少しは鍼をしていましたよと説明をして、多めに鍼をした。五日目には、初めて足のむくみも減ったと言う、むくみが取れて甲の骨が出てきたと喜んでくれた。こちらも台風による延長で、七日目も鍼に行って終わると、毎日よく来てくれたと涙ぐんで感謝をした。亡き連れに代わり、親孝行のまねごとをできて良かった。

台風22号の直撃で、帰りの飛行機手配に大変な思いをしたが、それで伸びた分、鍼を多くできた。弟1には、毎日、誰かに送って貰って見舞いに行き、併せて鍼をした。表情が歓迎しているのが分かった。予約変更の為に、市中へ出た時は、妹二人にも鍼をした。
空港へは姪が送ってくれることになったので、実家へ2時間早く来たら、また美容鍼をやってあげるよと言うと、行きますという。一緒に夜勤明けの妹2も来て、本当に飛び立つ直前まで鍼をした。鍼一つ持てば、一宿一飯+アルファ、顎足つきで旅ができそうだ。
2017年11月8日
IT 奄美
奄美帰省を利用し、診断士として興味のあった「奄美市ICTプラザかさり」を訪問した。
ここは奄美市がICTを活用した起業を支援するために、奄美大島本島の北端にある旧紬の館を改修して整備された。
売りは、第一に、空港から車で2分!という圧倒的なアクセスの良さ。東京、大阪からも直行便が飛んでいるので、うまくすれば日帰りの出張も可能。第二に、奄美十景にも選ばれた「あやまる岬」の直ぐ側で、風光明媚、息抜きにも最高なパワースポット。


あいにく、インキュベーションマネージャーは不在だったが、定例会議を含めて、個々の相談にも乗ってくれる優秀な方のようだ。東京(神奈川?)と奄美とを月に半々行き来しているという。
受付の方が空き室やサーバールームなどをていねいに案内してくれた。部屋(インキュベーションルーム)は非常に安い賃料で貸してくれる。
停電発生時にサーバールーム及び電気錠・防犯カメラ等の電源を確保するため、非常用発電機も設置しているという。夏の台風で停電した時にも活躍したそうだ。サーバールームのラックにNECマークを見つけて、少し嬉しかった。
共同の会議室や、光回線が使えるコワークルーム(一時間の使用料はなんと50円)もある。
NECに勤務していた頃に、オフショアとして中国の杭州の会社や、ニアショアとして北海道の函館の会社に開発を頼んでいたこともあるが、どちらも優秀でうまく機能していた。高速インターネットの時代になり、時間と空間は本当に制約では無くなった。奄美も充分にその力を発揮できると感じた。
ただ心配は、百種類を超す美味しい黒糖焼酎と、釣り・ダイビング・サーフィンが手軽にできる自然という環境の良さだ。仕事よりも楽しそうだ。環境に引かれて移住する若者もいるくらいだから。
ただ、起業をしようという人には、集中して仕事と遊びとメリハリを付けることができて能率が上がるとも言える。インキュベーションルームは24時間入退室可能と言うから、追い込み時期にも安心だ。
プロジェクトは立上げ時や節目毎に顔を合わせることが重要だから、空港から2分という立地は大きな強みだ。中には仕事が拡大して名瀬の市中に移転した会社もあるという。大いに期待が持てる。私も東京から何かお手伝いできれば良いと思った訪問だった。
2017年11月8日
IT 奄美
今回、奄美大島に帰省した折に、伝統補大島紬を本革とコンビネーションした、一生ものの品々を製造販売している”川畑呉服店 紬レザー かすり”を訪問した。
訪問の経緯は、…。
現代の若者や外国人にも、和服を着て貰おうと斬新なデザインの着物や周辺小物を製造販売しているメンズきものブランド「ROBE JAPONICA (ローブジャポニカ)」を私も所属しているデジタルマーケティング研究会でグループコンサルをしている。
和服と言えば、故郷の大島紬は代表的な着物の一つだ。それで、帰省する機会に何かコラボレーションできないかと、原宿にある店を台風21号間近の雨の中を訪れた。
天候のせいか、お客さんがいなくて、社長さんにいろいろと話して頂いた。伝統の反物から選んで作るので無く、着物は吊してあって、そのまま試着できる。帯もベルトでも良いではないかと、自由な発想で展示してある。花火大会や祭に出かける浴衣でも、皆とひと味違うものを着たい、目立ってナンボの要求に答えるという。”きものよりおしゃれ”をアピールする。
Webサイトがおもしろい。
https://robe-japonica.com/
西陣織の帯も自らデザインし、職人さんと打ち合わせをしてオリジナルを製造販売している。大島紬についても、伝統にチャレンジできる、言わば変わりものといわれるくらいの若者がいればコラボできるのでは無いかという事だった。
話し好きの方で、2時間あまり立ち話をしてしまった。帰る間際に腰が痛いが鍼は経験が無くてこわい、鍼は痛くないなどという話がまた盛り上がって、さらに時間が経ち、辞した時には、明治神宮の参道は門が閉まっていた。山手線横の狭い道を右行き、左行きして、トロトロと鍼灸院まで帰った。
そんなことで、今回の帰省でいくつか大島紬の製造元を当たったが、研修所では正当すぎるし、趣味で子どもに教えている所はコラボレーションまでは行きそうに無い。かっては、東京の呉服店で紬の販売、奄美に戻ってからは製造、更に全国を寅さんよろしく、北海道から沖縄まで、車を駆って販売して回っていた義兄も、今は大工になってしまった。集落で紬をやっている人は居ないという。
それならと、一番の市街地、奄美市名瀬で紬の販売・卸をしている同級生を訪ねると、息子さんが良い仕事をして居た。
本革と紬を組み合わせて、様々な品をデザインから手作りで、その人だけのものを提供する。革は使うほどになじんで良い色になり、紬の部分は傷んだら、新たな生地に取り替えもできるという。
サンプルは写真を見て頂きたい。

話す間も手を止めること無く、仕事熱心だ。写真を一枚と頼んだら、実に良い笑顔であった。隣りの母親は私と小中学校の同級生、その頃よりも別嬪さんになったような、…。同じ店の別間で、本格的な紬の着物や紬素材のベストなどの販売を担当している。

詳しくはfacebookを参照されたい。
https://www.facebook.com/Tsumugi.leather.kasuri
何か面白いことができそうな気がする。
2017年11月8日
奄美
10/24から28の予定で、久方ぶりに奄美帰省を計画した。LLCで安く行けるとふんだが、欠航で次の予約を取るのに悪戦苦闘、トホホ日記です。
16日午前3時、カロリン諸島で台風21号「ラン」が発生しましたとのニュース。たいしたこと有るまいと高をくくっていたら、いつの間にか、超大型台風という呼称がついて、段々と日本へ近づいてきた。
19日、20日の予報では、東京成田出発予定の24日は関東上陸の恐れあり。毎日チェックしていると、段々と大きくなり、やばそうな感じ。
22日になって、漸く24日明け方に関東を通り過ぎて、東北・北海道へと抜ける見込みがついた。それで、土砂降りの23日夕方に新宿の鍼灸院へデポ。鍼灸院に泊まったが、夜中の風は強くゴーゴーと音を立てていた。24日の朝方からは台風一過の天候になった。

24日昼過ぎに無事、成田を出発して、奄美へと飛んだ。朝に妹からは、奄美は暑いよと電話を貰っていたのに、涼しい、台風21号が通って一気に寒くなったとか、前途に不穏な空気。

それでも、晴れていて、主目的の弟1の見舞いや、診断士としてのいくつかの調査、島の自然撮影、義母や兄弟に鍼をするなど順調に過ごすことができそうだ。
と思いきや、24日に台風22号発生で日本縦断かもと言う。まあ、そうそうは来るまいと思っていたら、次第に日本に、と言うより、沖縄奄美へ近づいてくる。25日には、28日に奄美へ上陸、30日は関東を含む大円を進む予定という。

LLCだが、コミコミプランなので、一回はフライト変更ができるので、30日に変更したかったが、奄美を飛んでも、成田に着陸できない、と気を揉む。予約の患者さんが30日は一人だが、その後は何人もいるので困った。
27日夜になって、30日は東北・北海道へ抜けると分かった。しかし、時すでに遅し、28日便は欠航のメールが来たところだった。急いで、電話をすると、営業時間を過ぎています、…、と無情な機械応答。

ネットで手続きできるというので、やってみたら、30日の便に空きがある。変更手続きをして、座席指定を行う、最後に登録ボタンを押して終わり、…の筈が、エラーが返ってくる。何度試みても、ダンマリになったり、エラーが返ってくる。どうもサーバの調子が悪いようだ。

翌日、電話をかけるがつながらない、何度かけても、…。487(=169+30+29+4+230+25)回、妹にも手伝って貰って100回、合計600回近くかけても、「申し訳ありません、ただ今回線が混み合って、おります、後ほど掛け直して下さい」。意地になって、3時間も費やしたが、…、しかも、これ有料電話なんだけど。

しょうが無いので、街中の旅行業者に雨の中を行ってみたが、ネットで取ったチケットは取り扱えないという。諦めて、弟1の見舞いへ。そこから、地元に長い弟2に伝手をたどってなんとかならないか頼んでみる。しばらくして、話がついたから、xxの紹介と言うことで○○に電話をしてみよという。喜んで、電話をすると、丁寧な口調だが、やはり、自社で取り扱った客のチケット以外はダメだという。なんたること。粘って話をしたが、ダメ、30日の便にまだ空きはあると言うことは分かった。
しょうが無いので、新たに、その旅行業者でチケットを買って、元々のチケットは払い戻しをしようと判断。行ってみると、ネットで取ろうと考えていた座席がまだ空いている。途中まではネットもちゃんと動いていたのだ。旅行業者がアクセスするネットは別なのか、なんで動いているんだろう。手数料を含めて、1万円近く余計に高い買い物になった。
と言うわけで、漸く、東京に帰ってこれたが、…。欠航分の払い戻しが、また怪しい状況。
ネットで払い戻し手続きをしたら、払い戻し処理中の状態になる。これは手続きが受理されたのかどうか?心配なら、予約センターに電話しろという。電話をかけたら、案の定、「申し訳ありません、ただ今回線が、…」の繰り返し。ネットで問い合わせをしたら、問い合わせを受理したとは直ぐにメールが来たが、返事は5営業日以内です、但し、混み合っているので、遅くなる場合もありますという。まだ、返事が来ない。正しく処理されていても、コンビニ払いの場合は、45日以内に請求方法を連絡しますという、とんでもない日数。払い戻し手続きは30日以内というので、どうなることやら。
2017年11月8日
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