石川酒造見学と懇親会

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中小企業診断士中央支部のイベントとして、11月7日に、福生にある造り酒屋 石川酒造の酒蔵を見学に行って来ました。

石川家は福生市(旧熊川村)で、18代400年続いています。13代目が、1863年に酒屋を始めてから、150年。酒倉は国登録有形文化財にも指定されているがっしりした作りです。案内の方が達者なしゃべくりで、あっという間に40分が過ぎた。その後、地ビールと清酒を飲み放題の懇親会。美味しかったですね、しこたま飲んで、帰りは、なかなか家へたどり着かなかった。立川駅で多摩モノレールに乗り換えたのだが、反対側に乗ったようで、玉川上水まで来てしまっていた。
石川酒造見学と懇親会

先立つ、10月20日には、18代目 石川社長の講演会があり、続いて、実際に倉を見よう!、そして飲もう!という催しでした。

石川酒造は、合併前の熊川村で名主も務めた名家で、特筆すべきは、400年間、代々日記を書いていたということです。それを父の代に大学の先生に頼んで現代語に翻訳してもらい出版したという。

社長の講演は、その内容を引きながら、独特の歴史観を踏まえ、興味深い物だった。

明治以降の9代を、三つに分けて、それぞれ三人が変化(change)、挑戦(challenge)、充電(charge)の役割を担うという。

一つ目は、13代目に明治維新に遭遇する(change)。14代目がさらにビールの醸造も始めた(challenge)。15代目は派手なことは無く(charge)。

二つ目は、日本の敗戦、10万坪という広大な土地を農地解放で手放す(change)。戦後については、翻訳した日記の9巻目になる。16代目の日記には、「しかし、先祖も許してくれるだろう。国家の方針だから」とある由。
父の17代目は、事業を拡大すると共に、資料館を作ったり、日記の翻訳をしたりと色々なことをした(challenge)。現在の社長が18代目で、性格的にはチャレンジャーだが、父の広げた事業の投資返済、充電(charge)に勤めているという(地ビールは父の代だが、18代目が中心的な役割を果たしたような)。

三つ目は、子どもの時代、21世紀に入り、日本が赤字国家として借金(国債)棒引きなど、リーマンショックなど比べものにならない、大きな波乱が起きるだろうと予測しています。そして何とか16代目のように乗り切って欲しいという思いで観ているそうです。
※明治維新、敗戦に匹敵する大きな変動を迎えるというのは、容易ならざる事態であり、その可能性も大きいと感じました。醍醐味のある時代を我々は生きています。

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