南無の会坐禅会テキストが「正法眼蔵随聞記」に

坐禅

南無の会坐禅会で坐禅の後に中野先生が行う講話のテキストが変わりました。

南無の会坐禅会テキスト変更
今までは、「禅の料理と食事の心」で、禅宗の食の作法が丁寧に細かく書かれていて、面白かった。その作法が日本的な茶道や礼儀作法の源流になったという。

今度は、正法眼蔵そのものでは無く、道元より年長ながら一番弟子として、長く側に居り、後を継いだ懐奘による「正法眼蔵随聞記」です。これは、誰に見せるとも無く、1日の終わり(夜分)に道元の言行を記録した私記です。懐奘の死後に、行李の中から発見されたそうです。

最初が、道元が中国の天童寺に居た時のエピソードです。
外国人である道元の器量を認めた浄和尚が寺の侍者(官房長官のようなもの)に任命しようとした時のことです。
道元は、日本での評判も良くなる、いつも側に居て勉強になるというメリットを感じつつも、
外国人の私がなっては、具眼の人に、中国に「人」がいないと言うようなものだと言われよう。
であるから、お断りすると書状で述べたら、二度と要請しなかったという。
このように、具眼の人の考えに注意しなければならないと語った。

中野先生によると、仏教では、恥を感じるという大事な考えがあり、それには二つあるそうです。
一つは、人を見るに、具眼(本物)の人眼を感じる。
二つには、自分自身に対して、本物の人の眼を座標軸として、自分を見る。

こんな大事なことを道元が話すのを聞いて、門下となり、記録もしようと考えたのだろうとのことです。

このように、懐奘の記したことだけで無く、仏教、禅宗にまつわる全体、当時の状況を含めて説明をして頂けるので、自分で翻訳本や解説本を読むよりも、深く知ることができます。興味ある方は、坐禅をするなら『南無の会「坐禅会」』をご覧下さい。

※蛇足ながら、各段落は、「示に云く」と始まり、通常の仏教の如是我聞とは違います。これは、論語の「子曰く」と同じように、師匠の側近くに聞いたことを記しているという臨場感があります。

◇如是我聞というのは、「かくのごとく、我聞けり」と釈迦の云う言葉を弟子の阿難あるいは他の弟子が聞いたという意味で使う。

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