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情報産業論グループワーク プロジェクト計画書作成、 花火で脱力

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先日、三日間、ある大学で情報学科3年生に「情報産業論」というテーマで集中講義をしてきました。  今年は例年より受講者が多く、気合いを入れてやったのですが、最後に花火で脱力しました。

農業革命から産業革命、情報革命への進展。大型汎用機から、ワークステーション、パソコン、スマートフォン、インターネットと情報システムの急激な変化。情報処理サービス産業とは何か、システム開発、運用、セキュリティ、情報化の光と影。盛りだくさんの内容を30数年のIT業界経験も含めてたっぷりと話をしました。

日本の人口減少の中で、アジアの中国・インドを初めとする膨大な人口、その一方で、日本と比べて一人当たり6~10分の1という年収の格差から、オフショアは必然であり、その中で日本人IT技術者としての立ち位置を考えてもらう内容としています。

また、とかくストレスフルと言われがちなIT業界で、どうタフに生きるかという観点から、宇宙の誕生から説いて巨視的発想をもってもらう、マズローの欲求五段階説からどの当たりを狙うか、さらには、ピーターの法則「創造的無能のすすめ」まで話しています。

最後の半日は、グループワークで、いくつかプロジェクト概要を示して、グループに分かれてプロジェクト計画書を作ってもらいます。二ラウンドに分かれていて、最初に発表した後に、私からのコメント、および各グループにもうけたリスク担当から提起された無理難題(天変地異、環境変化、要員の事故、納期仕様変更など)を踏まえて、再検討をして、もう一度発表をすると言うものです。学生にとっては初めての体験で、四苦八苦しながら、なんとか発表までこぎ着けています。毎回、一番印象に残り、為になったというセッションです。

所が、今回は、あるグループから、とんでもない発表がありました。選んだプロジェクトは、大学から依頼された受験生募集管理システムです。今時なら、Webで案内、顧客管理システムCRM流用で、別に開発しなくてもできそうですが、そこは演習と言うことでHW調達からシステム開発まで行うと言うことで考えてもらいました。
プロジェクト計画書 花火
クチナシ ハナミョウガ

そのグループの発表は、…、花火大会をイベントとして行い、そこへきた高校生にアンケートを書いてもらって、ダイレクトメールでフォローをするということです。どこに情報システムが??と聞いたら、「へっ、…、??」  気を取り直して、予算100万円の試験という項目があるので、テストは何人で、どれくらいの期間するの?と聞いたら、それは、入学試験の会場費、監督費だという応えです。こっちが、「へっ、…!!」 (私の鍼灸院の隣りが代ゼミ本校で、ちょくちょく関西の大学の入学試験をしていますが、会場費はいくらなんでしょうね。…、関係ないです、横道にそれました)。

直前の講義で、システム開発、PMBOKの講義、プロジェクト計画書の説明、事例紹介もたっぷりやったんですがね。少子化の中でいかに学生を集めるかという経営課題から説き起こせば、花火イベントもありですね。診断士仲間でも、特に情報系以外の方には、情報システムにこだわる必要は無いとおっしゃる先生がたくさん居ます。でも、これ、情報学科の学生への演習なんですがね、…。

心を静めて、大学の学生募集という経営課題としては、それもあり得るだろうが、ここでは、経営課題から情報戦略という視点で、営業が情報システムにできるところを切り出して提案を行い受注した。と想定をして、情報化できることは何か、それをどうシステム構築するか考えて欲しい、第二ラウンドで考え直して欲しいとコメントしました。

今考えれば、第二ラウンドに入るときにリスク担当からでた事なら、面白いことですがね。理事長から、「情報システムよりも花火大会の方がインパクトあるというので、プロジェクトを中止してください」いうリスクとして提起されたら、どうするだろうか。来年は、リスク担当にアドバイスするか、…。

現実のプロジェクトでも途中で打ちきりと言うことは偶にあることで、契約が曖昧な日本のソフトウェア開発では、泣きを見る受注側が多い気もする。プロマネの大きな役割は、リスクマネジメントだ。特に発生時期も内容も分からないunkown-unkownリスクにどこまで備え、対処できるかが問われる。肝に銘じてきたことだ。

これだけ、のけぞった事は初めてだ。レベル的に、会社でやっていたプロジェクトレビューに比べることはできないが、そこそこ突っ込み所、コメントのしようはあった。情報化が一切無いプロジェクト計画書は初めて見た。今年は、楽しい年になりそうだ。

ランニングイベント前に足を故障、鍼で急場をしのぐ

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一昨日の状態、…11/20
明日(11/21)は、第6回Walk&Run なんだけど、…。
東京都中小企業診断士協会主催で、お台場周辺を走って、後はバーベキューというお楽しみ会。

水曜日の朝、目を覚まして立とうとしたら、足が痛い。
昨年の夏に痛風でひどい目に遭ったのと同じ、親指の付け根。だが、痛風とは違う、体重をかけたり、触ると痛い。歩くのも結構、難渋。

水曜日は忙しくて、放って置いたが痛みは引かない。木曜日に詳しく点検したら、丁度、親指のMP関節の列隙(幅1mm弱)が2cmの長さに渡って痛い。これは、火曜日の夜にやった剣道の所為だろう。少し調子よくて、左足の蹴りを効かして打ち込んだために、身体が足がついていかなかったようだ(お年という声も聞こえるが)。9月にも、調子よい時に、示指の小骨がかけた、1,2mmの骨片がレントゲンに写っていた。これも痛かった。

ここは鍼が痛いところだが、仕方ない、自分で一日2回、鍼を入れた。昨日、今日で少しは軽くなった気がする。明日には走れるか、…。今夜の鍼しだいか。
※ついでに、まだ力の入りにくい示指にも鍼。
20151119walk&run母趾MP鍼
※この夜は、坐禅会があり、facebookをみた友人から大丈夫かと声をかけられて、明日にならないとわからないが、なんとかなりそう、最近、故障が多いよなと言う話になった。すかさず、和尚さんから、「コショウはインドが多い」という合いの手が入った。確かに、インドは胡椒を初め香辛料が多くて、それを求めたイギリスの植民地化を招き、大変な苦労をした。あれっ、何の話をしていましたっけ、…。冗談好きの和尚です。

ランニング当日…11/21
鍼の力、恐るべし。
今朝起きて、お勤めの筋トレ、柔軟をして仕上げに足の指回し体操で、無意識にいつも通りに左足もつかんで回していた。昨日までは痛いので、そーっと触っていたが。
鍼も今朝は、二本(二カ所)で済んだ。夕べは、まだ四本だったが。
これなら、今日は Walk&Run 走れそうだ。天気も良いし、少し恐いが、楽しみになってきた。
20151120walk&run左母趾MP鍼

5km完走できた。
左足母趾は痛みも無く走られた。ゆっくりペースで先導をして頂いた野瀬さん、ありがとうございます。
むしろ最後の方で古傷の右膝が怪しい、痛みそうな感じであった。最後の400mの声の後がかかってから、長かった。
20151121walk&runラン風景

他に、10kmの早い、ゆっくりの二組はフルマラソン出場のメンバもいて早かった。私達は、折り返し地点の砲台跡に着いてゆるっとした時には、徒歩組に追いつかれるようなゆっくりペースであった。それでも、このペースで走ると全身の快い疲れと脂肪燃焼に良いという。

懇親会はバーベキューでは無く、アクアシティお台場のゼスト・キャンティーナというメキシコ流儀の酒場だった。4階だが穴蔵風で、壁にはスコップやツルハシ、天井からは木の根っこが見える。乾杯は、メキシコのコロナビールを瓶のまま飲む。最後はテキーラを飲み、普段と違う体験ができた。

ランニング翌日…11/22
今朝は、強く押さないと痛みを感じないほどに、母趾MPは改善していた。右膝は、腱に違和感があり、両方に鍼をした。
20151122walk&run左母趾MP鍼

※右膝は剣道で散々痛めてきた上に、一昨年の walk & run(初出場) が皇居一周だったので、何度か練習をして痛めてきたところだ。多くの剣道愛好家が痛めて、最後は蹲踞も正座もできなくなる。大事に養生をしておこう。

コン研35周年記念セミナーと懇親会

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先週の土曜日11/14は、中小企業診断士コンピュータ研究会の35周年記念セミナーと懇親会がビジョンセンター浅草であった。

セミナーでは、最初に、お祭り野郎にはなじみの浅草中屋の中川社長から、eコマースの概念を変える中屋ファクトリーについて講演があった。祭用品というのは季節用品であり、その通年化へ工夫を凝らしてきた経緯が語られた。UNIXワークステーションが盛んに利用されるようになった1990年代からIT化を進めてきた、中小企業としては先進的な会社と云うことが分かった。そして、今回は、ネットで木札をオーダーメイドできるシステムを開発したという。それが木札にとどまらずに、Tシャツ、半纏へも拡張可能で、諏訪大社の御柱祭でも採用されるとのこと。これは毎回けが人が出る勇壮な祭であり、気を失っていても誰か分かるように名入れをする、その為に有効だという思わぬ理由もあるらしい。
※ITには関係ないが、仲見世の中屋本店には、三社祭の見越しの1/6ミニチュアがあるという。本物は1年に10日しかお目にかかれないので、多くの観光客に喜ばれているとか。私も今度、行ってみようと思う。

続いて、2期,9期と二代にわたって会長を勤めた高島先生から、中小企業のIT経営支援を振り返るとして、経営情報システムの変遷、電話からインターネット、コンピュータ研究会の創立余話、その後の活動、購買行動の変化、IoTまで多岐にわたるお話があった。中でも、攻めのIT経営支援、経営者の思いに寄り添い気づきを促すというカスタマーオリエンティドな思考を強調されたのが印象に残った。

私は、コン研より少し長いくらいの期間、コンピュータの仕事をしてきたが、本当に変化の激しい世界だと今更に感じた。企業30年説というのが流行ったが、私が社会に出た頃は情報化社会、知識社会と云うことを盛んに云われた。現在は、インターネット、スマートフォンによってインフラとしての知識はいくらでも手に入るようになった。これからは知恵が必要とされる社会になるのだろう。

20151114コン研35周年記念

懇親会は、木村初代会長の乾杯に続いて、創設メンバの挨拶がり、料理と酒を楽しみつつ、懐かしいメンバとの交流を深めた。オーガニック料理店で、肉に見えるのも野菜類、日本酒、ビール、ワインも全てオーガニックという。健康的なひとときであった。

二次会は、近くの居酒屋で、いかにも居酒屋らしいメニューで、揚げ物、たくあん、ビール、焼酎、…と、これは身体にはどうかと思うが、懐にはやさしいメニューだった。旧知のメンバや名前だけ知っていた人とも話せて有意義であった。

石川酒造見学と懇親会

IT もろもろ

中小企業診断士中央支部のイベントとして、11月7日に、福生にある造り酒屋 石川酒造の酒蔵を見学に行って来ました。

石川家は福生市(旧熊川村)で、18代400年続いています。13代目が、1863年に酒屋を始めてから、150年。酒倉は国登録有形文化財にも指定されているがっしりした作りです。案内の方が達者なしゃべくりで、あっという間に40分が過ぎた。その後、地ビールと清酒を飲み放題の懇親会。美味しかったですね、しこたま飲んで、帰りは、なかなか家へたどり着かなかった。立川駅で多摩モノレールに乗り換えたのだが、反対側に乗ったようで、玉川上水まで来てしまっていた。
石川酒造見学と懇親会

先立つ、10月20日には、18代目 石川社長の講演会があり、続いて、実際に倉を見よう!、そして飲もう!という催しでした。

石川酒造は、合併前の熊川村で名主も務めた名家で、特筆すべきは、400年間、代々日記を書いていたということです。それを父の代に大学の先生に頼んで現代語に翻訳してもらい出版したという。

社長の講演は、その内容を引きながら、独特の歴史観を踏まえ、興味深い物だった。

明治以降の9代を、三つに分けて、それぞれ三人が変化(change)、挑戦(challenge)、充電(charge)の役割を担うという。

一つ目は、13代目に明治維新に遭遇する(change)。14代目がさらにビールの醸造も始めた(challenge)。15代目は派手なことは無く(charge)。

二つ目は、日本の敗戦、10万坪という広大な土地を農地解放で手放す(change)。戦後については、翻訳した日記の9巻目になる。16代目の日記には、「しかし、先祖も許してくれるだろう。国家の方針だから」とある由。
父の17代目は、事業を拡大すると共に、資料館を作ったり、日記の翻訳をしたりと色々なことをした(challenge)。現在の社長が18代目で、性格的にはチャレンジャーだが、父の広げた事業の投資返済、充電(charge)に勤めているという(地ビールは父の代だが、18代目が中心的な役割を果たしたような)。

三つ目は、子どもの時代、21世紀に入り、日本が赤字国家として借金(国債)棒引きなど、リーマンショックなど比べものにならない、大きな波乱が起きるだろうと予測しています。そして何とか16代目のように乗り切って欲しいという思いで観ているそうです。
※明治維新、敗戦に匹敵する大きな変動を迎えるというのは、容易ならざる事態であり、その可能性も大きいと感じました。醍醐味のある時代を我々は生きています。

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