坐禅
坐禅
「南無の会坐禅会」で坐禅の後に中野先生が行う講話のテキストが変わりました。
今までは、道元の後を継いだ懐奘による「正法眼蔵随聞記」でしたが、今度は「遺教経」と「正法眼蔵八大発覚」です。
「遺教経」(ゆいきょうきょう)は、お釈迦様が悟りを開いた35歳から45年もの長い布教活動を終えた80歳の時に後に残る弟子達に語った最後の言葉です。
自らの死に動じること無く、弟子達のことを思い、何を頼りに生きるか、修行を続けたら良いかをシンプルにまとめています。そのすばらしさは、2000年以上経った今に仏教が続いていることから分かります。
初回は、お釈迦様の年譜と家族や弟子達について説明がありました。次回、6/17から実際の本文に入ります。興味ある方は、下記をご覧になり、参加下さい(誰でも出席できます)。
坐禅をするなら『南無の会「坐禅会」』
2016年6月9日
坐禅
仏教にはいろんな宗派があるが、その特徴をそれぞれの宗派の若手論客が説明をしてくれる。
シリーズの第一回として、天台宗(最澄)の講演が4/22にあった。講師は円融寺住職の阿純章 先生であった。
最澄というと空海の敵役として知られている以外、門外漢にはよく知られていない。
実際は空海との仲は悪くなかったという。日本で最初の宗派として天台宗を立上げて、腐敗と俗化をしていた南都仏教に対して比叡山にこもり、修行に励んだ。そして、桓武天皇の信任を得て、南都仏教界を法華経と天台の教えでとりまとめたそうだ。
悉有仏性というのは禅宗だけで無く、天台宗でも重要な考えだと分かった。
そして、芋ばかり食べている横川の僧都として源氏物語に出てくる源信がその弟子筋にあたるらしい。今年は、源信の1000年遠忌として、その活動も知ることができた。日本人の地獄のイメージを原型づけた「往生要集」も彼の作である。
2016年6月4日
坐禅 武道 鍼灸
3/19は、午前中に患者の治療をして、おにぎりをぱくついて剣道へ。遠征稽古に名古屋からきた後輩たちと竹刀を交えた。
東大の七徳堂を借りて、みっちり1時間、なかなか今年の学生は強く、気を抜けなかった。その後、近くの居酒屋で懇親会。最近は未成年はアルコールは禁止ということで、下級生はウーロン茶。私たちの頃は新人歓迎会で、酒の洗礼を受けたものだが、時代は変わった。
替わりにという訳ではないが、一人で飲み過ぎて、帰りの電車では改札の出口辺りで転倒、血だらけの様。駅員に介抱されて休んでいきなさいと言われて、二時間ほどまどろんだようだ。家に帰り、翌朝、目をさますと、唇は切れ前歯は痛い、左手首も痛い(骨が弱いとコーレス骨折するくらいの感じ)、膝も痛い、…。
昨年も2月に防具入れのキャスターが不安定で、顔面から転倒して、もっとひどい目にあった。それでキャリーに買い換えたのだが、まだ今ひとつ。今回はもっと良いものをと探して、具合の良い、防具がぴったり入るものに買い替えた。キャリーのせいではないという声も聞こえるが、…。
その通りで、稽古後の酒は美味いし、酔いがよく回る。歳をとったのか、これからは控えめにせねば。
3/20は、大師流小児はりの初級中級講習会のお手伝いに朝から、オリンピック記念青少年総合センターに出かけた。
二日酔いと手足の痛さで手伝うのも一苦労だった。午前中の初級コースは大勢が受講をしていて、講義と基礎トレーニングを受けて、コース終了テストを真剣に受けていた。
午後の中級コースは連休中日のせいか、参加者が少なかった。その為に症例報告では、講習生そっちのけで、スタッフや先生がコメントや自身の治療経験をどんどんぶつけて、ワークショップのような盛り上がりで、非常に勉強になった。
3/21は、午前中に患者の治療をして、おにぎりをぱくついて、「禅と書道」ワークショップに、田町の仏教伝道センターへ出かけた。
禅の講話は、松原泰道老師のお孫さん。第18世龍源寺住職が「囚われない、空、無」について、般若心経や荘子の渾沌を引いて、若々しく話された。最後に椅子坐禅も体験。
書道は、武田双雲。私と同じ高校出身で、書道家として活躍している。いつもの坐禅会の帰りに案内チラシを見つけて、今回は申し込んだのだ。こどもの中学時代の書道具を持って参加したが、実際に筆を持ったのは最後の10分くらいだった。大柄で明るい好青年、話も面白くて、時間があっという間に過ぎた。
理系の大学に進み、大手SIerに就職したが、3年で退職して、3才の頃から習っていた書で身を立てた。子どもの頃から、自分に理解できないこと、疑問は放っておけないタイプで、小学校1年生で1+1=2が同じなのはおかしい(書として直線と曲線が同じはずはない)と先生に食い下がる、…、就職してからも、この会議の意味は何ですかと上司に聞くので「君は出なくて良い」と、…。転職は大正解だったろう、大きな会社では、一見意味の分からない会議というのがやたらとある。
実際に筆をとって、○と田とを参加者に書いてもらい、線の太さ・かすれ・大きさ、一角の入り、次の角とのつながり、などなどから、性格診断を行った。結構、当たっているような、会場は賑やかだった。
最後に、マインドセット(自分の思い、座右の銘みたいな)を1or2文字でみんなに書いてもらった。私は、「全機」と書き、彼から「全てがチャンスという、何があっても、チャンスととらえるという、すばらしい」とコメントをもらった。私の本意とは少し違ったが、これは新しい気づきをもらった。
「全機」という言葉に初めて会ったのは、ロボット博士の森政弘先生の「非まじめ」のすすめで、遡れば、道元の正法眼蔵に、「生や全機現、死や全機現」とある。いつ、いかなる状況(生死)でも、十分に全力で働く、機能する(全機)という意味だ。まんかい鍼灸院の「まんかい」も、いつでも、自分を満開(全力)に発揮できるようにと言う意味を込めて作った。
それよりも、双雲の「いつでも何でもチャンス!」の方がもっと前向きで良い。彼のマインドセットは、「楽」で、プロになるに当たって、この一字を極めていこうと決心して書の世界に飛び込んだという。その通りに、終始にこにこと楽しい雰囲気だった。私も、全機にチャンスという意味を込めて行こう。
2016年3月25日
坐禅
NHKのEテレ 「100分de名著」(水曜日 22:00~22:25)で、先週から ”良寛詩歌集”を取り上げています。
この解説を担当する中野東禅先生は、私の参加している”南無の会坐禅会”の指導者でもあるので、簡単に紹介します。
良寛は、 子供と手毬をついて、日がな遊んでいたイメージの方が多いと思います。
実際は、名主の長男に産まれながら、そういう政治、人扱いが苦手で、18歳からの名主見習では失敗を重ねます。それで、自分が向いていないと痛感して、名主の仕事を投げ出して、寺へ逃げ込みます。
何年か寺で修行をして、印可を受けた後、全国を托鉢行脚した後、生まれ故郷へ戻ってきます。しかし、実家へは行かずに、空き家の庵で、托鉢を行いながら、貧乏暮らしを始めます。そして、70歳過ぎで亡くなるまで、同じ暮らしを続けます。
自分が放り出した後を継いだ弟が、道楽や違法行為で、排斥され、その子供もうまくいかずに、実家は没落していきます。それに対して、意見をしてくれと家族から頼まれても、言えなかったそうです。
終生、托鉢、乞食で貧窮の中にありながら、風流を楽しみ、多くの詩歌(500首の漢詩、1400首の和歌)を残しています。
どうして、そういう生活を続けたのかは、今日を含む、残り3回の中で明らかになっていきます。
(座標軸を示す、どん底目線、自他への批判眼、徹底した言語化、山野でなく町中で捨てきった生き方を見せる意義、などなど)
詩歌の解説が、文字に表されていない心ばえや背景を付け加えた中野先生の独特のものです。坐禅会で講義をする正法眼蔵も、文字上だけでは読み取れない、道元、さらに禅宗の全体知識から敷衍された解説に感動します。テレビ番組では、あまり放送されていませんが、だじゃれ、冗談がお好きで、良く脱線しています。きっと収録ではそのようなことがあったろうと想像しています。
南無の会坐禅会は、今年はもう終了しましたが、1月から、引き続き、月2回行われます。テキストは現在は、正法眼蔵ではなく、一番弟子の懐奘が道元の言行を記した”正法眼蔵随聞記”です。詳細は、坐禅をするなら『南無の会「坐禅会」』をご覧下さい。興味ある方は案内を一読の上、どなたでも参加できます。
2015年12月10日
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