坐禅

南無の会坐禅会のテキストが、「修証義」に変更

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南無の会坐禅会の講話のテキストが、「良寛さんの心に学ぶ」から、「修証義副読本」に変わります。

前回の良寛は、誰でも知っている子供と手まりをついて遊んでいたお坊さんです。実は、新潟の出雲崎で、佐渡島と行き来する重要な港湾で、そこの名主の息子でした。政治向きのことが性に合わず、見習いの時に逃げ出して坊主になり、備中玉島の円通寺で修行の後、全国放浪してから、故郷に帰った。そして、寺を持たずに、一生、乞食坊主で過ごした。清貧の中で、歌を詠み、書をなし、風流の中で子供だけで無く大人とも交わった。多くの歌から、禅僧らしい生き方を解説して頂いた。

20191101修証義 坐禅会テキスト表紙

今度は、曹洞宗の基本の教えとして知られている修証義である。修証義は、明治維新によって宗教政策が一大転換をしたときに、政府へ登録するために、曹洞宗の教えを体系的に整理したものである。中身は、道元禅師の「正法眼蔵」から抜粋したもので、禅の教えがわかりやすく、簡潔に体系化されているという。それを中野先生が、現代的な課題を取り上げて、いつものように、元本だけで無く、お釈迦様や道元禅師の言葉も交えながら、副読本としてテキストを作成された。
修証義はわかりやすいと臨済宗のお坊さんでも勉強しているそうだから、禅宗に興味がある方は、参加されると得るところ大だと思います。

関心をお持ちの方は、坐禅をするなら『南無の会「坐禅会」』をご覧になってください。数百円のテキスト代と毎回千円の会場費用だけで、誰でも参加できます。

「剣の悟りを求めて」 ー剣の悟りを求めて入ったが、力まず現実直視の心を学ぶー

坐禅 武道

 数年前の”南無の会坐禅会600回記念”で、ただのパーティで無く、参加者が坐禅で得た功徳(メリット)を論集にしようと指導されている中野先生が発案されて、かなりの投稿が集まりました。それぞれに興味深いものでした。

 本人の投稿文は公開しても良いというので、遅ればせながら紹介します。長文なので、時間がある方はどうぞ。

「剣の悟りを求めて」
ー剣の悟りを求めて入ったが、力まず現実直視の心を学ぶー

 私は長く剣道をしていて、昔の剣豪が坐禅をして悟った事に興味を持っていましたが、な かなか機会がありませんでした。それが2001年に中小企業診断士の資格を取って、その集まりの中で、港区田町の仏教伝道センターで、坐禅会をしていることを紹介されてから、通い始めて20年近くになります。

 最初は、公案を考えて、ハタと悟るといったことを期待していたのですが、それは臨済宗のようで、ここでは、曹洞宗の中野先生が指導をしています。曹洞宗は、道元の教えで、毎日の生活や修行の中で平凡な人でも、悟りに近づき、一度悟って終わりでは無く、常に新たに修行を続けると言うことで、返って私には合っているようです。

 先生は、生命倫理(臓器移植)や死の臨床に立合うことにも関心を持たれ、たびたび、癌の話が出てきます。その中で、「どんなことがあっても、『人生、良かった!』にしよう」というのが、先生の口癖です。通い出した頃、末期癌のつれあいがいたので、癌の話が出る度にぎくっとしたが、そのおかげで、心の準備をかなりできたと思います。
 連れ合いが亡くなった後も、先生の講話が生き死にに触れることが多くて、心の安定に役立ってきました。

 先生は教化研修部門の講師でもあり、著書も多数出版され、何を尋ねても、その場で答える学識に驚かれます。何よりも、講話は脱線と笑いが多く、ユーモアが好きな他に例を見ない先生だと思います。それにつられて、長く通っているようなものです。

 つれあいが亡くなった丁度1年後に、朝の通勤電車に幹事から、先生の奥さんが亡くなったと電話が入りました。お寺の名前と住所を教わると、勤め先の直ぐ近くでした。これは行かねばと思い、昼休みに総務から黒のネクタイを借りて訪問しました。すると丁度先生が廊下に座っておられて、(駅で突然亡くなられたので)警察から遺体をこちらへ安置したところで、葬儀は実は明日、とおっしゃいました。今日と思い込み、他人事とは思えず、駆けつけてしまいました。折に触れて先生が「自分に体験があるから共感できる」、「自分に悲しみがあるから、悲しみの人に寄り添い、わかる」と言われる、そのことを実感しました。

 一つ、うらやましかったのは、私のように葬儀屋探しはしなくても、安置する場所があると言うことでした。つれあいの死に際して私が一番辛かったのは、医者に危篤と言われてから、遠くからも身内が大勢集まった中で、一人離れて、葬儀社を探したときです。24時間、側に着いていたいのに、亡くなれば直ぐに病院から引き取らねばならず、病室から電話するわけにもいかず、二人とも地方から出てきて、何の伝手もなく、電話で何件も照会をしました。仕事の都合で亡くなったら葬式は早くやってくれという人もいて、まだ生きているのに、葬儀屋にいつできるかと尋ねて回るのは心塞ぐ思いでした。

 その後、折に触れて、先生が奥様のことを語るのは、心に響き、参考になりました。中でも、「供養には思いを引き継ぐことである」と話されたのが心に残っています。先生の奥さんは、海外の恵まれない子供の里親をしていたことを、その子供から手紙が来たのを見て知り、遺志を引き継いで里親になっているとの事です。
 それを聞いて、つれあいは、子供が大きくなったら老人福祉の仕事をしたいと思いながら、亡くなったことを思い出しました。私が定年直前に鍼灸の道へ進んだのは、つれあいの福祉の仕事への思いを引き継ぐのに役立つ技術であり、導きがあったのだと得心しました。

 つれあいが亡くなった翌年の異動で、お客さんが最も多い首都圏の担当となり、今までに輪をかけて忙しくなりました。長年かけて開発したシステムは、客先も含めて担当は入れ替わり、中身を知っている人も少ない中で、無理な改造を頼まれたりして、障害も多くて、責任者として、対応に追われました。そういう時に坐禅をすると頭ののぼせや力みがとれて気持ちも楽になりました。担当した3年間は、それ以前の30数年間分以上の謝罪をしたのではないかと思いますが、剣道と坐禅で乗り越えられたと思います。

 定年前に退職して、鍼灸の専門学校へ行き、鍼灸師になってからは、自由な時間が増えました。その中で、自由に流されずに心を見直すのに月2回の坐禅会は欠かせません。

 先生の講話の中で大事だと思うことをノートに取り、何冊にもなりました。中でも、心に響いているのは、講話の中で何度も繰り返し話される「如実知見」と「出来心が本心」と「縁起条件の調和」という言葉です。

 「人間は見たい物しか見ない。関心のあること、自分の立場から見る。その関心、立場を捨てて純粋にあるがままを見よう」、それが如実知見だと教わりました。
 あるがままに見よう、そう思うだけで見え方が変わってくる気がします。困った場面ほど、如実知見、如実知見と言い聞かせて現実を直視するようにしています。

 「生きているとは、一時も生を止めることが無い。自分は一時も止めること無く自分だ。だから、求めている自分と今の自分が違うと言うことは無い。『今の自分が自分で隠しようが無い』『丸出し』で生きている」、つい出来心でというのが本当の自分だと教わりました。
 目の前のことと別に何かあるのではないから、今のありのままを直視して、自分にも他人にも、『言い訳は要らない、聞かない』生き方を心がけるようにしています。

 「全ての存在は縁起条件の調和である。(1)条件は変化する、だから一定ではなく、無常。(2)存在は縁によって起こる、だから実態は無い、無我。(3)縁起条件の調和で存在する、だから損得は無い、無為」、だから存在はこだわりようが無い、空だと教わりました。
 困った時には、この縁起条件の調和だと思い聞かせて、自分であれこれ悩んでも仕方ない、病気は病気に任す、あるように生きるという勇気を得ています。

「南無の会坐禅会」テキストが「良寛さんの心に学ぶ」に変更

坐禅

南無の会坐禅会のテキストが、「仏教に学ぶ生命観・看護と支え」から「良寛さんの心に学ぶ」に変わりました。

前回は、中野先生にしか語れない深い話しであった。死に近づく心構え、看取る人の心得、疼痛治療、緩和ケアなどを多くの事例と共に話をされた。仏教的な話だけでなく、キリスト教チャプレンの事も含めて興味深いものだった。良く集う仲間はそういう感想だったが、参加者全体の反応はどうだったのか、中野先生は図りかねていたようで、最後は駆け足になった。いつか第二弾を期待したい。

 今度の良寛は、よく知られた人であり、愛好者や研究者も多いが、中野先生も、昨年、NHKの番組「百分で名著 ”良寛詩歌集”」の解説を担当されたように一級の研究者だ。先生は10代で永平寺に登り修行の後、東京の寺に入ったが師匠が新潟の出身で、その時分からのご縁だという。良寛が名主の家に生まれながら、見習いの時に自ら不向きと考え、後を弟に譲り、出家をして清貧の暮らしを生涯貫いた。こどもたち遊ぶ様が伝わっているが、書も名筆で有り、多くの歌も詠んだ。

 始めに生まれた地域や簡単な生涯の話があって、この後、歌を中心に良寛の生き方を説かれる予定だ。テレビでは放送されなかった逸話や、家族のこともなかなかに興味深そうである。関心をお持ちの方は、坐禅をするなら『南無の会「坐禅会」』をご覧になってください。
 数百円のテキスト代と毎回千円の会場費用だけで、誰でも参加できます。

「南無の会坐禅会」テキストが「仏教に学ぶ生命観・看護と支え」に

坐禅

南無の会坐禅会のテキストが、「禅問答」から「仏教に学ぶ生命観・看護と支え」に変わりました。

通常は、道元の正法眼蔵をテキストにしているので、禅問答も少し外れていましたが、今回は大きく違います。

禅問答でも一般的な難しい説明では無く、字句に囚われす、問答の背景、釈迦の教えてきた仏教の真髄から最近の世相トピックスまで例に引いて、非常にわかりやすいものでした。

今回は、仏教者として非常に早い時期から、死の臨床に取り組んできた中野先生ならではの話が聞けます。先生は、1977年「死の臨床研究会」の発足時からの会員として、死の臨床において患者や家族に対する真の援助の道を仏教者の立場より研究してきました。また、1988年「日本生命倫理学会」の立ち上げから関わり、死をどう考えるか(いかに死を迎えるか)、がんの告知問題、臓器移植と生命倫理問題など深く考えてきました。その知見によって、厚労省「癌看護認定看護師養成講座」の講師を務め、自主研究会「医療と宗教を考える会」を作り、2011年の東日本震災を機に発足した「臨床宗教師」の顧問にも就任しています。

そういう意味で、最近流行の終活やエンディングノートを超えた、長い研究の成果といつものようにわかりやすく実際的なお話を聞けます。非常に熱が入っていて、いつもは時間厳守の先生が、1回目は時間を超過してしまいました。存命の間に、これだけは皆さんに伝えておきたいと、気がかりな発言も混じっていますが、白鳥の歌にならないように願いつつ、全てを受取り、吸収したいと思います。

これだけの内容を聞ける場、話せる先生はいないでしょう。普段、なじみの無い方にも非常に有益だと思います。関心をお持ちの方は、坐禅をするなら『南無の会「坐禅会」』をご覧になってください。数百円のテキスト代と毎回千円の会場費用だけで、誰でも参加できます。

坐禅会テキスト 「仏教に学ぶ生命観・看護と支え」 表紙
坐禅会テキスト「仏教に学ぶ生命観・看護と支え」 目次

知人からfacebookの方に質問があったので追記します。
(1)質問
先祖崇拝とは、原始宗教的なところから来ていることで、仏教からのものではないのだろうと想像しています。
さて、「お迎えが来る」というのは何処に由来するものなのか?

「仏様がお迎えに来る」
「神様がお迎えに来る」
「ご先祖様がお迎えに来る」
「先に逝った知っている人がお迎えに来る」
というような言葉があるのかどうかさえ知りません。

何が来るか分からないけれど、誰かが来るということで「お迎えが来る」と、信じているということでしょうか?

(2)私なりの回答
個人的には親しい先行者が迎えに来るような気がしますが、仏教的にはお釈迦様の手の中へ帰るのでしょうね。次回、中野先生に伺ってみます。

(3)中野先生の回答
中野先生から明快な回答を頂きました。
「お迎えが来るというのは、普段と違うことを、自分の心構え(気づき)が示している」ということです。
具体的には、
(a)自分の死期に気づく、それを認める心構えがある。
(b)誰がお迎えに来るかというと、死に臨んで、自分が思う人やもの(神仏)が来る。外から来るものでは無い。

付け加えると人それぞれで、
(c)お迎えが来ない人も居る(死期を感じたくない、認めたくない)。
(d)お迎えが来ているのに気づかない人も居る(死期を感じない)。

#あの世も含めて、自分の今の生き方、今の心ばえを反映していると言えます。

(4)知人のコメント
死(期)を受け入れた準備状態で出る表現であって、宗教から来ているわけでは無いが、自身の信仰に基づくお迎えが来る人もいるということですね。
『十分に生きた。死ぬ必要は無いけれど、死んでも良い。』なのだけど、「死ぬ」というより、「天に還る」気持ちに近い気がしました。
ご回答、たいへんありがとうございました。

#良い受け止め方をされたと思います。

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